「修道院からモダニズムへ」(浅野忠利著)から学ぶもの

著者の浅野氏とは何度もお会いしているものの、建築について議論というような機会は、あまりなかった。1976年、筆者が竹中工務店で社内留学制度に合格し渡英する前に、留学の10年先輩ということで、助言をもらったことを覚えている。テーマも違うし、行先もドイツとイギリスで、どこまでちゃんと話を聴いたのか定かではない。
1966年から1968年までウルム造形大学に留学され、その成果の延長として自分としてのテーマを探求しつつ、再度2017年に3か月訪欧したことを機に、本にまとめられたものである。単に印象をまとめただけでなく、随所に文献の検証をもとに、修道院とモダニズムを繋ぐことにより、建築を通してドイツの素晴らしさが語られている。
修道院はミステリアスであり、なんとなく魅力を感じて、筆者もイギリスに行く前に「修道院」(D.ノウルズ著、朝倉文市訳)を買って読んだ記憶がある。本書の主題である、手工業職人の原点が修道院にあるということには、全く思いも到らなかった。現代文明の要因の一つの勤勉さが、プロテスタンティズムから来ていることは納得しているが、「職業労働はルターによって倫理性が高められ、カルヴァンによって合理性が強められた。」ウェーバーは「カルヴィニズムの厳しさが資本主義を後押しした」という。(p.60)あらためてキリスト教精神のかかわりを整理してもらった。
修道院成立期の厭世傾向についての記述も興味深い。貴族間の政略結婚により、女性の結婚時期が早まり、15歳以下での早婚出産が一般化した。これに嫌悪を覚える若い女性が結婚を忌避する傾向が顕著となった。日本も平安時代は、似た状況があっただろうか。
13世紀以前というベネディクト派のザンクト・ガレン修道院の平面図を丁寧に紹介し、20世紀に展開されるモダニズムの原点を見つけているのも凄い。ルイス・マンフォードが、「修道院の知と技は中世の同業組合に引き継がれた」と語っている(p.101)、ということを、著者なりに検証しているのが、第3章と第4章である。
第5章で技術を高めた職人集団が、第6章で政治的に自分たちの権利を勝ち取る行動をとることも、わが国の建築士制度の問題とつながり、良い仕事をするためには必要なことと理解できる。第一インターナショナルの中心人物たちが手工業職人であるとか、1890年の社会民主党党首は旋盤職人で、第二インターナショナルの中心となり、ワイマール共和国につながったということも、職人が力を発揮できることと社会のあり方との強い関係を教えてくれる。
第7章は、バウハウスの誕生と第8章では、今も建築界に与えているバウハウスの大きな影響が語られる。学生時代に知ったバウハウスは、ドイツ国内の動きのようにしか理解していなかったが、アメリカで活躍するミース・ファンデル・ローエがかなり中枢にいて、コルビュジェやライトまでもモダニズムという意味でバウハウスの運動の真っただ中にいたということは、新鮮であった。
留学先のウルム造形大学のクロード・シュナイトについては、一緒に仕事をされたことがコラムで紹介されているが(p.254)、それが芦屋浜のプロジェクトに生かされた(p.293)というのは、留学の成果がずいぶんと直接的に生きるものがあるのだと感心した。筆者の例を振り返ると、エディンバラで書いた学位論文の要点をもとに、超高層建物の風応答評価の計算法を社内に残したものの、建築学会基準などもあり、単に一つの論文くらいのものでしかないのと大きく異なる。
ドイツ手工業の職人の歴史は、現代にもしっかり通じている。第8章の冒頭に現れる見出しの「自由・信頼・寛容」の後、「共同体への奉仕を通して自己の自由を実現する」(p.261)は、まさにアーキテクトやエンジニアの基本理念でなくてはならないと思う。そして第9章では、これからについての論点も記されている。マイスター資格制度や職業教育制度も社会における職人の位置づけや役割を示すものであるが、労働者と経営者が共同で経営方針を決定する「共同決定制」が法律で定められているという。これこそは、フェルバーの「公共善エコノミー」の理念に沿うものにほかならない。
モダニズムを建築理念の基本におくという意味をもってか、大野秀敏の「永久革命あるいは無限の進歩という理想像をうちに秘めた」(p.283)という言葉を紹介しているが、ポスト・モダンという怪しげな言葉を意識して、変わらないモダニズムの意義を読み取るところなのかとも思うが、「無限の進歩」はけして理想像ではないし、プロテスタンティズムの禁欲の部分が抜け落ちており、資本主義とモダニズムを効率性により結び付けることによる、地球環境問題や格差問題の増幅という危険性を感じる。真意を確かめておく必要があるかもしれない。
逆にIBAエムシャーバーク(1988-1999)の成果として、「その後の持続可能な社会の構築に貴重な示唆を世界にしらしめた」(p.289)点に注目したいと思う。オープン・ビルディングの考えにもつながるもので、インフィル10-20年、サポート50-100年、アーバン・ティッシュ200―300年というまとめ(p.302)と照らしてみると、今こそ住宅政策、建築行政でやるべきことが見えてくる。戸建て用の敷地が民間のミニ開発やワンルーム・アパートに変わり、スクラップアンドビルドが止まらない日本の現状は、やはり社会制度から来ているので、放置されていることを悲しく思う。おそらくは、公営集合住宅の充実が今こそ問われているのではないか。
1968年という年は、世界中で学生運動が激しく盛りあがった時期であり、バウハウスの精神を受け継ぐウルム造形大学の閉校の時期でもある。日本では、全共闘運動の終焉が、若い人に政治への興味を失わせた面があるように思うが、ヨーロッパでは、学生の問いかけが大学の中でもしっかりと続いているように思う。フランスの話として、「学生は大学制度への参加権と自治権の拡大を克ちとった」(p.295)とあるのは、宇沢弘文の話では、逆の印象を持っており、このあたりも検証の必要があるかもしれない。宇沢が東大に赴任して経済学部長としてパリ大学の学長を迎えたさいに「東大はすばらしい。紛争前後で何も変わっていない。パリは、国の管理で身動きとれなくなっている。」という趣旨の説明をされた。日本では遅れて大学法人化により国の管理が強化されたことの前振りとしての話であった。
エピローグでは、再度、中根千絵のタテ社会の指摘を引いて、「ドイツに学べ」の雰囲気で締めくくられているが、少し気になった部分を記す。クロード・シュナイトの言葉として「文化文明の新しい芽は、ヨーロッパ大陸で芽生えるこれをイギリスが集大成し、アメリカが実用化する。(p.306)を紹介しているが、まさに20世紀まではそうだったことが、限界に達しており、このままでは、格差問題も地球環境問題も解決に向かわない。ヨーロッパでの公共善エコノミーのような芽生えを、一つ一つの国で育てていく必要がある。ドイツ、アメリカのGDPと日本の比較があるが(p.314)、最近の報道で日本はドイツに抜かれたとあった。しかし、これを凋落と取ることに、あまり意味はないのではないか。金銭的指標で競争する時代から「自由・信頼・寛容」で気持ちよく仕事のできる時代へ変わるべきであろうから。
それにしても、素晴らしい本をお送りいただいた。名前を覚えているだけだったりもするが、ヨーロッパの多くの都市を訪れた経験も、解釈の幅を広げてくれるのは、この年になって読んだからということもある。クラコフやレーゲンスブルグなども、懐かしい。ゴルフやオート・キャンプ、留学時代の住まいなど、コラムも楽しい記事が満載で、感想は尽きない。

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