海野聡著「森と木と建築の日本史」読後メモ

東大建築学科の若い建築歴史の先生が、林業にも視点を置いて木造建築を語っているのだから、これは必読書と思って読ませてもらった。
わが国の木と森のことから始めて、古代から現代までの木造建築について、特に維持保全・再建の詳細な紹介に触れつつ,、わかりやすく概説している。博識ぶりが披露されている。印象に残ったところを挙げておく。
創建時の出雲大社の推察も興味深い。(p.7) また、法隆寺は、慶長の大修理が豊臣秀頼によりなされている。(p.131)棟飾りの変更やヒノキの代わりに松が使われているなど、修復を丁寧に調査している専門家でないとわからない。必ずしも同一材種にこだわらないのは、その理由もあったということ。もちろん、創建時と修復時での、木材供給の状況変化は大きな役割を果たす。それは、今も同じことである。
山の資源利用にあっては、入会地の役割が大きい。支配者側からの政策としても、秀吉や家康になると資源確保の重要性を意識し、利権確保を行っている。(p.153)それが、聚楽第・方広寺(東大寺をしのぐ規模であるが、現存しないためあまり知られていない)・伏見城・大阪城の造営を可能にしている。加えて、山林保護が効果をあげた理由の一つに、牧畜が大々的に行われなかったことがあるという指摘も興味深かった。(p.165)入会地は、制度的になくなっているように思うが、何か類似の制度の必要性も感じる。私有地ということで、市場経済の影響を受けやすいことが、保全や持続可能性を困難にする。
伊勢神宮の式年遷宮は、技術の継承の意味もあるが、実際には木材供給については、時代とともに苦労が重なっていることも含めて、自然との共生の好例として興味深い。
最後に、木材の循環モデルが提示され、中世以前の自然採取型から近世~近代の資源の保全と循環のしくみ、戦後の利用優先の歪みを経て、これからの循環モデルを訴えている。森林を保全と管理、運搬を通して持続可能な利用の展開が描かれている。(p.238)やや楽観的に語られているようにも見えるが、持続可能社会育成のため、行政的にも市場経済だけでないしくみとして管理することが欠かせないように感じた。
最近、飛騨の山林を舞台にした、ドキュメンタリー映画「木樵」(宮崎政記監督)を見た。時代とともに、道具の進化は著しいが、木を伐り、木を植える作業はこれからも必要なわけで、それを社会全体の仕組みの中で気持ち良い仕事として生産的であるには、どうすれば良いか、農業、漁業と共通の課題である。


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