”歪んだ法“に壊される日本(郷原信郎)をどうするか

建築基準法の問題点を議論するようになって出会った「法令遵守が日本を滅ぼす」(2007年)から、再びわが国の法律とその運用の問題を根本から問いかける本が、同じ著者から出た。多くの人が、「まあしょうがない」「運が悪かった」みたいにして受け入れてしまっている社会になっていないか、考えてみる必要がありそうだ。
建築とは直接関係ないが、刑事司法(第1章)、公選法・政治資金規正法(第2章)、原子力損害賠償法(第3章)、インボイス制度(第4章)、自動車事故責任(第5章)が扱われている。いずれも、被害者が法の下で平等に扱われているか、という指摘である。
第1章では、立件型事件についての説明。検察が法に照らして社会的に不正と判断して被告が生まれる。検察官の思い込みや、裁判官の検察調書重視の姿勢が、一般の市民の生活を壊す例が紹介される。
第2章は、政治資金と選挙資金の区別の難しさからくる政治資金規正法のザル法たる由縁が解説される。河井夫妻の買収事件や桜を見る会の安倍個人資金による補填問題など、政党法も含めて複雑になっているが故に、まともな制度になっていない。検察の恣意性が現実になっている。
第3章は、福島原発事故における被害者救済に対しての法的な欠陥。国の責任が明示されず、電力会社の無限責任となっている。法成立時には、製造者責任を免責とした議論があったという。アメリカなどでは、ある規模以上の損害賠償には国が対応することになっている。現実に事故が発生し被害者が救済されていると言えない現状を踏まえて、いまこそ原子力損害賠償の制度を見直すことが必要。そこに目を塞いだままの原子力発電再開は、あり得ないと思う。
第4章は、消費税は誰が払っているのかという問題。法的には事業者が払うものなのに、あたかも消費者が払う税金を事業者は一時的に預かって支払う形になっているかのように思わせている。今回のインボイス制度もそのような流れのもとに、消費税をしっかり捕捉する中小企業泣かせの制度の正当化が行われているという。建築基準法は最低基準なのに、建築基準法を守っていれば安全だという社会通念を放置していることに似ているかもしれない。
第5章は安全にかかわる問題。2013年8月北海道白老町の大型バス事故と2016年1月軽井沢の大型バス転落事故。運転手が被告になるが、果たして自動車側の検証が公正になされているかという点は、これからも繰り返されるであろう故に、検察側の問題としても、そのままにしておいてもらっては困る問題だ。車の性能が良くなって自動ブレーキがかかるはずなのに、高齢者がアクセルを踏んでしまって事故に至ったという例は、コンピュータ化された自動車の社会的課題。建築でいえば朱鷺メッセの歩道橋崩落事故でも、第三者委員会が事故原因を特定できていれば、被告にあいまいな責任をかぶせたまま未解決に放置するということはなかったはずである。もちろん、福島第一にしても、工学的な事故の詳細が公開され共有できれば、これからの技術と社会の関係もよりよく出来る。法の果たす役割は極めて大きいし、そこで専門家が説明責任を果たすことを改めて痛感するのである。日本が壊れる前に、専門家が社会の劣化を止める必要がある。


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