アジア人物史4文化の爛熟と武人の台頭

平安時代の貴族による政治の世界が、アジアの他の国々でも似たような展開をしていたことが、人を中心に読み取れて面白い。実際には、中心となる人と取りまく人も同じように役割を果たしているのだとは思うが、ここでは最小限にとどめることとする。
第1章は藤原道長(966-1027)である。天皇を補佐するというが、実際は左大臣が摂政あるいは関白として政治を取り仕切った。そこで「陣定では下位の者、新任の参議から順に全員発言する習わしである。ある種民主的で、・・」(p.18)とあり、それなりの政治が行われていた形跡がある。もちろん、殺した殺された、疫病が流行ったなど、大変な事態は少なくなかったろうが、紫式部(970?- )や清少納言(966?- )と言った女流文学が1000年の時を越えて読まれているのだから文化が花開いていたことは間違えない。
第2章は白河院(1053-1129)と慈円(1155-1225)。藤原の摂関政治が滞ると同時に天皇の若齢化で上皇による院政が形をなすようになる。そのあたりの政のあり方を考え、道理に基づくとはどういうことかを、歴史を展望して示したのが慈円の「愚管抄」。「和歌に心を寄せて西行を敬慕し」(p.068)、一方で仏教の頂点である延暦寺の天台座主に4度もついている。武士が台頭し鎌倉の北條の振舞いを眺めるしかないままに、承久の乱を迎え後鳥羽院は隠岐に流された。平清盛(1118-81)も源頼朝(1147-99)も比較的あっさりと紹介されるのみである。
第3章は高麗王朝で李子淵(1003-61)が道長とそっくりで娘たちを王に嫁がせている。その孫にあたる李資謙(? -1126)の代まで外戚として力を発揮している。
第4章は南インドのチョーラ朝で、ラージャラージャ1世(在位985-1014)とその子ラージェンドラ1世(在位1012-44)の時代の繁栄ぶりが語られる。その文化は東南アジアにも伝搬している。シヴァ神をうたう詩も紹介される。
第5章はインド化最盛期の東南アジア。アンコール・ワットを建てたのはスーリヤヴァルマン2世(在位1113-50頃)。アンコール朝最後はジャヤヴァルマン7世(在位1181-1218)で、建造物は北はラオス、東はベトナム、南はマレー半島、西はミャンマー国境までに広がっている。
第6章は司馬光(1019-86)。北に遼、西に西夏とバランスを取りつつある北宋にあって、神宗(1048-85)の命により「資治通鑑」を編んだ。そこには「『中国』の天下概念、すなわち、天下に複数の正当国家が存在することを認めず、統一された王朝のみを正統と確認した上で、正統の所在は遼でも、西夏でもなく我が宋であると主張」(p.262)している。王安石(1021-86)の新法による政治と蘇軾(1037-1101)の旧法派との対比も記されている。
第7章は風流天子として北宋第8代の徽宗(1082-1135)で、「書画の歴史の中で燦然たる光芒をはなっている。」 (p.297)足利義満(1358-1408)は、開封の大相国寺に倣って、109mの高塔を相国寺に建設(4年後焼失)している。
第8章は李清照(1084-1155?)が北宋滅亡の混乱期に、ドラマチックに自由に生きた女流詩人として取り上げられている。
第9章は朱子学の大成者である朱熹(1130-1200)で、その影響はアジアだけでないカントら西欧近代思想にも大いに及んでいるという。倫理の実践という概念である。王安石や蘇軾も再度登場する。程頥(1033-1107)のところでは、性善説が語られる。「人は誰しもみな善行を志向する。実際にそうなっていないのは、人欲がこの志向性の発現を妨げるからである。知識を究めて是非の判断力を養え」(p.449)は、現代に通じる。文天祥(1236-82)も小さく登場する。
第10章は、12,3世紀のイスラム世界。十字軍に対抗した時代。ザンギー朝のヌールッディーン(1118-74)はシリアを統一する。アイユーブ朝のサラディン(1137?-93)は十字軍へのジハードを敢行し、連合王国をつくる。ついでトルコ系のバイバルス1世はマムルーク朝を創設する。
第11章で高麗王朝に戻り、武臣の権力が力を持つ始まりとして崔忠献(1149-1219)が取り上げられている。高宗6年(1219年)に高麗はモンゴルと兄弟国のよしみを結ぶが、実際はモンゴルに服属する片務的内容のものであった。(p.564)大陸からの影響をどうかわすか常に難しい状況に置かれることは、今も続いている。
中国は、よくよく見るといつも一つの国というわけではなかったという印象を持つに至った。また、わが国の平安時代に武人が台頭する状況は、アジア各国共通にあり、そこで思想家と権力者の関係が興味深く記されている。「愚管抄」を読み始めた。

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