「樹影」(佐多稲子)を読んで思う

 2か月前までは、佐多稲子は名前だけを知っている作家であったが、アジアの人物史11巻で、室生犀星との距離が近いことを知り、小説を何か読んでみようと思った。原爆文学というジャンルの存在を書いた「グラウンドゼロを書くー日本文学と原爆」(ジョン・W・トリート)の中に「樹影」を見つけて、アマゾンで中古を取り寄せ、紙の黄色くなった昭和63年刊の講談社文芸文庫で読んだ。
 画家麻田晋と中国2世の柳慶子の恋の物語である。長崎を舞台としつつも、しばらくは、入選はするも賞の取れない麻田とスナックを営む慶子が店の改装を機に、そして病院通いで親密感を縮め、やがて深い仲に進展していくのだが、p107ページになって、初めて原子病(原爆病)の名前が不気味に登場する。麻田の名前は晋で、鉛筆画家の木下晋と同じなのも、画家らしく感じられて面白い。しかも、最後の作品は、モノトーンの白。
 「原子力は生命となるべきものである。それはしかし、生命の破壊ではじまった。」(p.150)その後、長崎に原爆が投下されて直後の二人の足取りや、つらい思いが語られる。麻田は少しずつ体調を崩しつつも、画家としての自分のオリジナリティを生むことに苦悩し、一方の慶子は、中国人華僑としての自分を強く意識し、政治的にも目覚めていく。
 麻田の容態が急に変化し、応募する絵を2点描き上げた直後に、緊急入院し、まもなく逝ってしまう。慶子はその間、必死に看病するが、麻田の妻邦子への遠慮も意識しつつ、麻田の弟からは、画家麻田晋の想う慶子という人間の理解を得る。慶子の父の死の後は、中国風の墓を建て、新しい麻田の墓と二つの墓を頻繁に訪れる。そんな慶子も突然にクモ膜下出血で倒れ、あっさり逝ってしまう。
 巻末に佐多稲子の読者への言葉がある。大田洋子の「屍の街」が広島の被爆を書いた。そのご、長崎の被爆者から、「長崎の被爆を書いてくれ」と、手紙をもらったという。長崎は、被爆当時は東京にいたが、11歳まで育ったまちでもあり、書かねばとの思いと書けないとの思いを乗り越えて、ようやく書いたとある。画家とコーヒー店の中国女性の短い恋は、実話に基づくという。書き上げた昭和45年は、大学を卒業した年である。その時に読んでいたら、また、別の感動があったかもしれない。
 プロレタリア文学であり、原爆文学である。人が何に惹かれるか、国を越えてどう生きるか、芸術とは何か、フィクションが社会を考えさせる。「樹影」を読んで、室生犀星を感じるわけでは決してないが、この本に、岸田総理大臣の広島サミットの直後に巡りあうということも、意味のあることのように思った。本との出会いもおもしろい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?