「土地は誰のものか」五十嵐敬喜著(岩波新書)の意味するところ

現代総有論の五十嵐氏が、土地基本法改正を機に土地について書いた。序文で、バブル期における司馬遼太郎の「政府の無策とそれによる人心の荒廃」の嘆きから入って、土地所有ということの意味を歴史的に解説し、新旧の土地基本法(1989年と2020年)のねらいを考察している。旧土地基本法は、投機の禁止を謳いながら実効性が発揮できていない。新土地基本法は空き地、空き家問題への支援策として改正された。
さまざまなわかりやすい指摘に加え、これからの制度への提言も含め示唆に富むのであるが、全体の論調としては、ボトムアップ的というよりは、まずはトップダウンで方向転換をという感じであり、それは、私たちの「建築基本法制定運動」も似たところがあると気づかされる。法律が変わらないと方向は転換せず、法律ができても行政がその趣旨を生かす努力をしないと変わらないのだ。
第1章土地基本法と土地政策。いろいろ数字はあるが、都心三区で「公園はアメリカの20分の1」(p.6)は、コロナの洗礼を受けて都がまず考えるべき問題だ。また、土地基本法(旧)を作ったにもかかわらず、「政府、企業、そしてマスコミや学者も、都市の発展あるいは経済成長、雇用の確保など、もっともらしい理屈を並べたうえで、開発を促進するため、高い建物を建築できるようにする容積率の緩和など様々な規制緩和を採用し、東京一極集中政策を加速させてきた。」(p.26)この状況は、今も変わる気配を見せないのである。
民法改正についても触れている。「都市部では相続税が高額になることもあって、その支払いのため、相続財産を売却して金銭で分配することが多くなっている。その結果、建売住宅(ミニミニ開発)が横行するようになった。
第2章では、縄文時代から明治期の土地所有権の関係が解説される。
第3章外国の土地所有権のところで、「都市改革・都市計画制度等改革基本法 住民参加による地域にふさわしい都市計画・まちづくりを戦略的法案長妻試案」(2014年)を紹介し、建築確認から建築許可へと唱えている。これは、建築基本法の考えと整合するものである。
アメリカでは、都市景観、ダウンゾーニング、オープン・スペースなどの手法が次々と開拓されている。(p.138)イギリス、ドイツ、フランスの政策の紹介もされている。ランドバンクという手法が、日本でも山形県鶴岡市で緒についたという紹介がある。やはり、自治体が将来を考えた土地政策を実践しなくてはいけない時なのだ。
第4章は田園都市論。ハワードの田園都市から岸田首相の唱えるデジタル田園都市までを概観。震災復興における政策として「区画整理」と「都市再開発」が使われたのであるが、いずれも、いずれも「保有地」と「保有床」を確保して売却する手法で、土地の値上がりが前提。「被災地では当初からもう地価の値上がりはないとされていたにもかかわらず強行された。時代錯誤そのものである。」(p.173)と批判する。将来を論ずる際には、客観的に人口の長期展望を考えておかなくてはいけない。すでに2008年にピークは過ぎ、2050年には、ピーク時の80%になるのだ。
最後の第5章は、現代総有―土地所有権と利用の新しい形、と題して、「商品」から「幸福」への新しい試みが紹介されている。司馬遼太郎の「土地は公有にすべきだと思うようになりました。」の言葉の実現可能性を語っている。「農業経営基盤強化促進法」(2018年)や「森林経営管理法」(2018年)の運用は、その方向への動きでもある。「とりあえずは、自分の町を良くしたいと思う有志が立ち上がらなければことは始まらないのも真実なのである。」
建築基本法制定のための運動、大田区でのまちのあり方への消費者団体での活動、釜石市唐丹での株式会社唐丹小白浜まちづくりセンターのこれからの事業展開において、土地問題への理論的な支えと実践的な可能性が示されている。まだまだスクラップアンドビルド思考から抜けきらない現在にあって「建築は誰のものか―人口減少時代の所有と利用」というのも、いいテーマになりそうだ。

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