「スラバヤ-コスモスとしてのカンポン-」(布野修司の新刊)の私的紹介

3か月かけて一通り読み終えた。写真や絵も満載で580ページの布野修司の語る東南アジア。コロナ禍で集中したとはいえ、素晴らしい業績が残されたと思う。まるで東南アジアの都市の歴史事典である。
思えば、東大で教職について20年ほど経った2000年ころ、工学部から環境学専攻に軸足を移し、いままでの自分の専門の議論をヨーロッパ・アメリカからアジアに移せるかと思っていた時期がある。結局果たせなかった。おそらくはフィリピンにもベトナムにもインドネシアにも一度も足を踏み入れることなく人生を終えることになりそうだ。
布野修司はカンポンというインドネシアの村的共同体をテーマにして論文をまとめ建築学会賞を受賞して「カンポンの世界」(1991年)も刊行、さらにその分野で多くの研究者を育てたということは前からよく知っていたので、このずっしりした本を送っていただいたときは、お見事という印象で、ご同慶の至りであった。京都大学出版会の編集というが、ふつうの目次建てで読ませるだけでなく、それにからませて、Cascadeと称して歴史の断片のトピックを添え、Space Formationと題して注目すべきまちの成り立ちを解説する。
著者の敬愛するスラバヤの都市研究者Johan Silasの1978年から2019年の論文や著書で、自らの調査研究観察を確認し位置づけて、日本人の理解のために書き下ろしている。そのエネルギーに驚く。東南アジアの歴史について知らなかったことも随所に登場し、日本のかかわりについても、この年になって知ってよかったと(また忘れてしまうではあろうが)思うのだ。強いていえば、地図が小さくて見づらい。著者が工夫してトピックに合わせて何枚も描いているのに、これは、ないものねだり。それと、インドネシア語の地名や人名、用語が頭に入らない。親切に何度も解説してくれているのに、これは自分の年のせい。
せっかくなので印象に残った部分を挙げておく。今のわが国におけるまちづくり、建築、都市計画にとっても大いに参考になると考える。
第1章は起源が語られる。森と海の物語は、口絵写真の鮫と鰐からはじまる。Space Formation Ⅰデサ(農村)で「デサの共同体的な性格について、まず指摘されるのは、土地の「共同占有」の形態が数多くみられること」(p.84)とある。農村が都市に移行していったり、都市内に村的共同体が存在するという中で、全編を通じての重要な現実の指摘である。
第2章は形成と題し、今も名を冠したモスクのあるスナン・アンペルという王様に代表される14,15世紀のイスラム王国の変遷。「マジャパヒト王国(1293-1520)が衰退し、ヒンドゥー勢力がバリ島に追いやられるなかで、スラバヤは、上述のようにデマ王国(1475-1554)の支配下に入る。そして、やがてマタラム王国(1587-1755)に属することになる。ただ、比較的独立した都市国家として繁栄していたと考えられる。」(p.167)
第3章の変容は、オランダの東インド会社(VOC)支配下の歴史。「およそ1680年代までに、オランダ領東インド、現在のインドネシア島しょ部から他のヨーロッパ人勢力は排除され、香辛料交易についてはオランダの独占するところとなった。こうして、オランダはその絶頂期を迎える・・・」(p.213)ケープタウンを作ったヤン・ファン・リーベックが東南アジアでも活躍した時代である。1642年「7月28日の陸奥湾山田浦(現在の岩手県山田町)に漂着して乗組員10人が捕らえられたブレケンス号事件」(p.219)もこの時代。Cascade H に紹介される「じゃがたらお春」と「おてんばコルネリア」も興味深い。小さなオランダ王国が、フランス革命によって自国がおかしくなるまで、東南アジアに権勢をふるったということは、アングロ・サクソンの世界制覇と同じ流れの前哨戦でもあったということか。植民地政策としては、ソフトという印象である。日本とのつきあいが深いだけに、歴史として正確に把握しておかなくてはいけないところだ。
第4章の転生の副題は、スラバヤ11月10日。日本軍の占領から終戦、独立への流れから現在までつながっている。中でも、隣組がいまでもうまく生きているという観察は、町内会組織が中途半端な日本の現在において気になるテーマだ。都市計画が行われないのは、日本も同じであるが、自主的居住環境整備として効果を現わしているのが、クリーン&グリーンのカンポン改良プログラム(KIP)である。「1918年にはスペイン風邪の大流行があり、ジャワ全体で150万人が死亡する事態」(p.333)Cascade Kはメガ・アーバニゼーションを解説する。「国際的な相互依存関係、グローバリゼーションが巨大都市化をうながしている」(p.391)のが現実であるが、そんな中で「拡大都市圏」が多くの核となる都市と、都市化しつつある農村を含む。居住地をどう整備していくか、我が国も共通の状況にある。
1997年の国際シンポジウムをきっかけに、スラバヤ・エコハウスをJ.シラス+布野修司研究室で設計して完成させた快挙は、素晴らしい成果だ。
結は、改めて、都市のグローバルヒストリーをカンポンから概観し、スラバヤの今後にも少し踏み込んでまとめている。カンポンの基本原理は、日本にそのままあてはまるとは思われないが、まちがまちであるために、小さな社会が共同意識をもって暮らしが営まれることは、今の日本に欠けていることを、訴えているようでもある。

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