働かないふたり

『働かないふたり』の29巻が発売されたので購入した。

読んだ。
読んだら、感想を書きたくなったので書いている。

俺はこの本が好きでいられること、この本が好きだと思える自分でよかったと思った。

文章の体裁について考えている。
言葉というのは、飾らない、実直なもので良いのではないかと思っている。

もちろん、仕事で書いたり、誰かに向けて書くのであれば、また違うのだろうけども。
何にせよ、言葉は自由だ。俺は取り留めのない文章を、あてもなくインターネットに上げることで満たされている。

仕事を辞めた俺は、働くということに囚われていた。
さっさと元気になって、早く戻らなくてはいけないと、四六時中考えていた。

辞めるか、続けるかの反復横跳びをしていて、
時には決心に満ちた様相になり、時にはどうしようもなさだけが付き纏っていた。

昨日、お祭りがあって、ライブをしていた。
ライブを見た。同年代ぐらいの男性が、アコギ一本で歌っていた。

僕は良い声と、いい顔で歌う人だなと思った。
親近感がわいた。俺もステージの上で歌いたいと思った。

音楽は自由だ。だからいい。
音楽にすれば好きに歌えるのだから。

俺は実家のソファに横たわりながら、YouTubeを眺めていた。
無気力、適応障害、うつ、バーンアウト、そんな単語を検索欄に入れ続けていた。

漫画を読みだした。
医者に漫画を読んでいるといったら、なら大丈夫だと言われた。

でも、俺は哲学書が読めなかった。
俺にとって文章が読めるとは、文学と哲学書を読めるということなのに。

kindleで無料で読める漫画を読み続けていた。
漫画アプリも手当たり次第に入れて、たくさん読めるアプリを並列していた。

色々読んでいる中で、何故か知らないけれど『働かないふたり』を読み始めていた。
はじめは働いていない自分がどうしようもなく嫌で不安だった。

あかねちんという水商売をしている女性キャラがいる。
彼女が春子と河原に出かけたときに、春子ともう一人の友人は、河川敷にシートを敷いて昼寝を始める。

あかねちんは、私といても楽しくないのかと、不安になりながら、
座ると服が汚れるなあとか、色々考えつつも、横たわってみる。

「楽しくなくてもいいし、楽しませなくてもいい」
あかねちんはそう独白する。

この話が今でも思い出せるぐらい、妙に心に刺さった。
思い込みに気づかせてくれる、きっかけみたいなものだった。

毎日、アプリでチケットが回復するたびに読んでいた。
繰り返し読んでいた。もう何回読んだか覚えていない。

守は、ニートの主人公なのだが、
これまた河原で石積みをしている。

文章で表すとなかなか可笑しさが引き立つが、
そこに中学時代のサッカー部で、マネージャーをしている女性の後輩に出会う。

彼女は、中学時代の思慮深く、優しい守がニートをしていることを残念に思っていた。
守は、飄々と彼女の意見を受け止めて、穏やかに流していた。

守くんが守であるという他に、
彼女が彼に対して期待を寄せていることに、一体どんな意味があるのだろうか。

俺は、身なりも杜撰で、体はぶくぶく太って、頭は回らないし、無職で
つまり、自己嫌悪と焦燥感の中にいたのだ。

ある時から、とりあえず歩いてみることにした。
頭の中で、声がするので、YouTubeでかき乱していた。

ある時から、声がすると、春子ちゃんのことを考えるようになっていた。
つまり、「まあ、いっか」ということだ。

「まあ、いっか」を積み重ねてみた。
とりあえず、自分のことを全部許してあげることにした。

それでも、たまに昔あったものが欲しくなる。
なんとなく、かっこいい自分でいたくなる。

「まあ、いっか」と「何かが欲しくなる自分」を揺れ動いている。
一時期から、自分の頭を習慣化によって、コントロールできないかと実験を始めた。

普段、目にする情報を意図的に制限したり、偏りをかける。
そして、その情報を常に得続ける。

そうすると、それについて考えていることが、習慣になる。
考えることが習慣になったら、少しずつ行動を積み重ねていく。

小さな行動で満足するような仕掛けを作って、報酬系にアプローチしていく。
すると、習慣というのは複利のように増えていく。

俺はこの本が好きでいられること、この本が好きだと思える自分でよかったと思った。
俺はもう持ってるもので満足しようと思った。


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