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学生の私と周りの方達

最近の青城はSWITCHの稽古に一日の感情の大半を使っております🏫
とっても素敵な座組で孤独なんて感じることの無い程皆さんとっても温かくて概ね毎日ニコニコの笑顔で幸せを感じております。
ブログを書こうと思ったのは私の演じる役はラストシーンに山場があるのですがそのラストシーンの稽古をして学生の頃をふと思い出したからです。
今回は多分めっちゃ長いです。小中高振り返るんです。
長いです!!!!

まずは小学校の頃。
もうかなり記憶から消えつつありますがそうは言ってもまだ、卒業してから10年くらい。
頑張ればどんな日でも思い出せそうな気がしています。
小学生の頃は色々とその当時なりの嫌なこととか上手くいかなかったこととかもちろん沢山ありましたが6年間基本的に全力で楽しんでいました。
室内でなにかするよりも外で男の子達と鬼ごっこをしたりドッチボールでわーきゃー言ったり、ドッチボールの大会も全部出てバレーボールや一輪車の大会も出てました。友達は多い方だったように思います。
この時からコーラスやミュージカルを始めています。

よく載せる写真

小学校での先生との思い出は結構あります。
先生と不思議なほど仲がいい生徒でした。

1.2年生の頃の校長先生。
先生がタバコを吸っているところを見つけると(当時は多分まだ良かった)
「あ!!先生!(ダダダダダダ……デーン!!!)」
と、突進しに行っていました。嬉しかったこと、ちょっと悲しかったこと、こんなことがしたい、今度何をするのか。色んな話をタバコとコロンの匂いを纏った校長先生と沢山しました。

3.4?5?年生の頃の校長先生。
よく何の連絡もなく校長室に遊びに行っては塗り絵を作ってもらっていました。とっても絵が上手で昔は漫画家になることも夢見ていたと教えてくれました。この先生はとても堅い人だと私の周りの子達はあまり良い印象を持っていませんでしたが私だけが知っているように感じていたその先生のいい所が沢山あって大好きな校長先生でした。今もまだあの頃書いていただいた絵をしまっています。

6年間みてくれた図工の先生。
休み時間になると手を繋いで本当にたくさんの話をした先生。落ち込んだ時は沢山話を聞いてくれて私が間違えた時は叱ってくれて、人の優しさ温かさをしっかりと教えてくださった先生です。校長先生達もそうですが特にこの図工の先生がいっぱい褒めてくれる先生でした。
手がいつも温かくてものづくりをしている方なので手がちょっと分厚くてゴワゴワしていてそんな先生の手が大好きでした。

管理人さん。
6年間の間に恐らく3人の管理人さんと出会いました。
私がちゃんと覚えられているのが3人。
友達を連れて管理人室に遊びに行ったり1人で遊びに行ったり。ビー玉弾いてやるパチンコみたいなやつも作ってくれたり、ウサギ小屋を作ってくれていたり、私が未だに気づいていないものもきっとたっくさん作ってくださって学校を守ってくれていた管理人さん。
管理人さんの人柄が本当に良くて管理人室に行くとお家に帰ったような気持ちになれる程心地よすぎる空間でした。小学校の先生の中で唯一まだ今も関わりがある管理人さんが1人います。

たくさんの男女問わない友達とたくさんの温かすぎる先生方に囲まれて6年間元気いっぱいに過ごしました。

中学生の頃。
小学校は6年間。中学はその半分の3年間だけなのにうんと長く感じたそんな3年間でした。
時間が経てば美化されるはずの思い出も、
卒業からたった7年ではそう簡単には美化できないほど心に残り続けている3年間。
美化出来なくても大事な記憶ではあるのでこれはこれでいいことにします笑

この頃から私の世界が一転します。
まず友達が激減。正しくは小学校の頃の友達がいなくなったわけじゃなくクラスだったり部活だったり環境で完全に離れてしまった。
部活は吹奏楽部でトランペットパートに所属しました。先輩同期後輩には恵まれて喧嘩とかもしたけど基本仲良し。部活全体となると誰がどうとかまではないけどどこか雰囲気の重たさを常に感じていて顧問の先生とは3年間上手くやれずじまいでした。とにかく馬が合わない。2人で笑いあったことは3年間で1度も無いかもしれません。
1年の時の担任の先生は口数はかなり少ないですが信頼していた先生でした。いつも一歩下がってモノを見ているような先生で 仲良く、とまでは行きませんでしたが話を聞いてくれる先生。卒業してからは1度もお会いできていませんが1度、年賀状でスイカの写真が送られてきた時は意外すぎてまじまじと年賀状を見たのを覚えています🍉

ちょっと私の赤ちゃんの頃の写真で
和やかな気持ちになってください笑👶🏻🍼🤍

2年や3年生の時の記憶はかなり薄くなっています。
覚えていられるほど私が強くなかったから。
だけど大人になって当時の友達と集まって話して思い出すくらいには覚えています。
1年生の途中から完全に人に心を閉ざし始め、喋りはするけど心の内を明かすことはしない。
その頃の写真を見返しても全然顔が違います。分かりやすく目が死んでいて今では笑って見られます。
この辺りから学校という存在が大嫌いになり毎日泣きながら帰ってました。
部活、先生、友達、委員会。色んなことで揉みくちゃになってました。
卒業までそんな感じが続いて結局特に良くなりそうな傾向もなく過ごしました。あの時頼ることが出来た大人が塾にいました。塾長や担当してくれていた大学生の先生達。あの塾がなかったら私はきっともっとダメダメな人間になっていたかもしれない。
あの時は塾に行けば生きていられるとまで思っていて、それは塾が色んなことを発散させてもらえる場所でもあり叱ってくれる場所でもあり一人の人間として向き合ってくれる場所だったから。塾の授業がない日も中学2年間ほぼ毎日通って高校1年の冬まで在籍しました。
行きたい高校が見つかったのもその高校に合格できたのも塾のおかげでした。

塾の先生が焼いてくれたケーキ2ホールみんなで食べた

高校生の頃。
卒業してからまだ4年くらい。
まだまだ最近の記憶です。
1年生の頃。
恩師と出会います。担任の先生でした。
いつも誰かの心配をしていて"人を想う"ということを先生を通して沢山学びました。
何も言わなくても欲しい時に欲しい言葉をくれる。
初めて、こんな大人になりたい。と思った人がこの担任の先生でした。
今でも、ちょっと道に迷いそうになったり間違ったかもと思った時はその先生の言葉を思い出しています。

ちなみに高校は陸上部。色々あって2年の夏でやめました。400m競技をメインにしていました。
たまにやった砲丸投げとか走り幅跳び、やり投げはただただ楽しかった。
足を怪我してからは何も楽しくなくなって色々上手くいかず退部。未だに足の怪我と仲良くやっております🦵

2年の先生も3年の先生も、こんなに私は先生に恵まれていいのだろうかと思うくらいとっても素敵な先生方で
自分らしくいられる、それで居ても認めてもらえる。
1番は目を見てゆっくりと話を聞いてもらえたのが嬉しかった。担任の先生だけじゃなく他の沢山いる先生方も人のやりたいことをバカにせず応援する方たちで溢れている高校だった。久しぶりに人を信じられるようになって人をもっともっと想うようになった高校時代でした。
ちなみに小劇場に足を踏み入れたのは3年の頃。

これは初演のBSK!


今になってあの頃を振り返ると当時は気が付かなかった温かさだったり大人の考えを知ることができるけれど、あの時の私には気が付けずに居たその狭い世界が全てでそこから出られたのは本当に最近の話。
高校でかなり広い世界に行ったように感じたけれどそれでもまだまだ狭い狭い世界でものを考えていた。
もしかしたらまだ今も狭い世界なのかもしれない。
これからの世界が私は楽しみだ。


と、まあ、ここまで丸一日かけて書いて何が言いたいかっていうと。SWITCHの話。

今月末です。入場整理券でスっと入れます。


ラストシーンで私が演じる生徒会長はどんな気持ちで目の前の先生と一緒に居るのか。ということを考えたらどうしても語りたくなったっていう…

石井テル子さん演じる役の先生は私青城にとっては小学校の2人目の校長先生のような存在に近いものを感じていて、熊 五郎さん演じる役の先生は中学1年の担任の先生のような雰囲気に近いものを感じていて。重ねながら青城はこういう選択をしてきたけれどあの場面で生徒会長ならどうするか。

大好きなテルさん。

個人的には少し前からさらにお芝居が好きになったのでひたすら楽しい!!もありながら難しい!も楽しくて頭悩ませる楽しさを感じております。

再演BSK!では私の父だった熊さん。



私が伝えたいものがこの作品にあります。
これまでの人生で先生方だけではなく周りの方から沢山頂いてきたもの、自分にとって良いも悪いも全部まるっと愛して、私が芝居を通して届けたい想いが沢山詰まっています。
入場無料です。
私はこれまで出会った人みんなに観てもらいたい。


終始私の頭の中に出てきた思い出と言葉だけでブログを書き綴ったのでタラタラと長かったですが読んでくださってありがとうございました!!
これからも頑張りますっ!!

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