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【ネタバレ有】ベイスターズドキュメンタリー『FOR REAL』──家族は分かり合えない、でも筒香はチームを"ファミリー"にしようとする

※映画『FOR REALー戻らない瞬間、残されるもの。ー』の内容に触れていますので、知りたくない方は本編をご覧になった後にお読みいただけると幸いです

筒香が最後に伝えたかったこととは…|FOR REALー戻らない瞬間、残されるもの。ー
(予告編)
https://youtu.be/uFhe7F5sR20


理解できない"ファミリー"

 ベイスターズが毎年公開している、球団ドキュメンタリー映画『FOR REAL』シリーズ。それ以外にもベイスターズはPRに、ドキュメンタリータッチの動画を利用することがある。

 私は時に、そうした動画の内容に反発することがあった。例えばベイスターズはチーム不振時にも、監督や選手の苦悩を反映させた動画を公開する。そうしたものを観るたびに、「だから何だっていうの? 選手がつらいからそれに免じてくれってこと?」と感じていた。「一番つらいのは選手」、そんなのは分かりきっているのだ。分かりきった上で、こちらにも苛立ちや悲しみが産まれてくる。だから苦しいのだと。

 キャプテンの筒香嘉智は、「ベイスターズはファミリー」と言う。「ファンの皆さんもファミリー」と話すこともある。
 例えいくら大事な家族でも、その苦しみや葛藤をすべて理解することはできない。もし家族と自分の感情を天秤にかけなければならない時は、家族を優先しなければならないのだろうか。家族が悲しんでいるからといって自分の感情をなかったことにするのは、美談になるのだろうか。

 苛立って気づいた。
 私は実際に心の内で、ベイスターズのことを"家族"と同じ位置に置いているのかとしれない。
 自分の家族に抱くような感情を、ベイスターズにも抱いているのかもしれないと。
    詳細は省くが、私の家族はそれぞれ生きづらさを抱えている。そして私は長女であり長子である。それがしこりとしてずっと心に残っていることに、最近やっと気づいた。

 先日映画館で、『FOR REAL』を鑑賞した。冒頭から涙が溢れて、しばらく止まらなくなってしまった。起承転結の"起"、つまりドラマティックな出来事はまだ起きない。

 私は選手のみんなのことは大好きだけど、私はみんなになれないからその気持ちを理解はできないよ。ごめんね。
 何故かそんな罪悪感が湧き出て治まらず、スクリーンを眺めて泣き続けていた。

筒香が見せなかった表情

 作中でも、何度か「チームはファミリー」と選手たちの口から発される。
筒香が投手陣に、自分が打たれた後も、ベンチで声を出してチームを鼓舞しろと語るシーンがある。打たれてすぐベンチの奥に引っ込む方が恥ずかしいからと。
 私はこのシーンに、打たれたパットンが怒りのあまりにベンチの冷蔵庫を殴った出来事を思い出していた。あの事件は、この映画の中では触れられていない。
 筒香が伝えたかったことを裏切ったのが、あのパットンの行動だったのだと思う。パットンもまた、かつてブルペンはファミリーと話していたのに。
 その事実もまた、互いに思い合うだけでは成立し得ない"家族"を体現しているようで、苦しくなった。

 なぜ選手たちは、チームを"ファミリー"と称するのか。
 野球は、時に個人競技の性質を示すことがある。順位が低迷するチームにも、個人タイトルを獲得する選手がいるのは珍しいことではない。かつてのベイスターズのように。
 同じポジションを奪い合うなら、チームメイトはライバルとしての"敵"にもなる。
    しかし、選手みんながそのような姿勢では、チームが目指す優勝を狙うことはできないと筒香は肌で学んだのだろう。

 筒香は、チームを"ファミリー"にするべく身を粉にする。赤の他人同士、時に敵同士となる我の強いプロ野球選手たちを集めて、"ファミリー"と言わなければならない困難さ、そして少しの滑稽さ。彼はそれも理解しているように見えた。

 いくら"ファミリー"と連呼していても、完全に分かり合うことはできない。それをどこかで分かっていても、できるだけ、可能な限り、"ファミリー"という概念が、勝利を目指すチームの拠り所になるように、筒香は文字通りに身を削る。

 多くのファンがすでに指摘しているように、そこで筒香という選手の思いは後回しにされている。筒香は怖いぐらい、ほとんど苛立ちや苦しみを表情に出すことがない。

 今季ベイスターズが6連敗した際に、チームの空気を変えようと、筒香は選手を集めて「ガッツポーズの練習をしよう」と呼びかけた。しかし結果として、その後も4連敗を喫してしまった。
 映画公開前にこの動画がSNSでアップされた際、私は憤りを覚えてしまった。これは筒香のキャプテンシーをアピールする動画なのかもしれないけど、結局だめだったじゃん、と。
 しかしその後、"ファミリー"のために奔走しても空回りに終わる姿が、自分にも心当たりがあるようにも感じた。その心当たりが、憤りに結びついたのかも分からない。

 CS敗退が決まった後のロッカールームで、筒香が今季をもってメジャーに挑戦することが発表される。
 チームのキャプテンとして最後のスピーチをする筒香は、子どものようにしゃくりあげて泣いていた。言葉は涙で詰まり、言葉を続けようとしても涙を止められない。こんな筒香の姿は、これまで見たことがない。
 筒香がチームメイトの前で抑えて隠していた彼自身は、時にこんな顔をしていたのかもしれない。

 私は苦しみ混乱する家族を前にするとき、努めて自分だけは冷静でいようと考えていた。本当は声をあげて泣きたかった。
 筒香は泣いていた。スクリーンを前にした私も、自分はなるべく冷静でいようと考えていた子どもの私も、一緒に泣いていた。

 私は今後も野球を観ながら、自分がコントロールできない他人に何かを委ねたり、苛立ったりすることがあるだろう。
 それが正しい在り方とは自分でも思わないし、どのような姿勢が望ましいのかも分からない。
 ただ一つ言えることは、これほどまでに他人について揺さぶられるものは、野球だけだということだ。