中野昭子『森岡貞香の世界』書評

2006年に書いたものです。初出は忘れてしまいました。森岡貞香の歌は私もとても好きで、書評にしては、ちょっと力が入りすぎているところがある文章ですね。身体論のところは、結構面白いのではないかと思います。

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 『白蛾』は、読者に不思議な衝撃を与える歌集である。
拒みがたきわが少年の愛のしぐさ頤に手触り来その父のごと      「少年」
くるしむ白蛾ひんぱんにそりかへり貝殻投げしごとし畳に       「女身」

 このような冒頭付近の歌には、中野昭子の言う「内在するエロス」が、すでに濃密にあらわれている。この圧倒的な存在感を持つ歌はどのように生まれてきたのか。それが多くの読者の抱く疑問であろう。中野昭子のこの評論集も、おそらくこの疑問を徹底的に探求しようとして誕生したのである。
 中野はまず、『白蛾』(昭和28年)以前に存在する『戦線の夫を想ふ歌』(昭和16年)というアンソロジーに収められた森岡貞香の歌に着目する。しかし、このアンソロジーは戦意昂揚のためにつくられたもので、森岡自身も「私の作品ではない」と考えているという。実際、
征きまさば再び会ふははかられず今宵の夫に何かしづかむ

『戦線の夫を想ふ歌』
動員あらば再びは会ふもはかられず今宵の夫に何かしづかむ

「ポトナム」昭和12年8月
のように部分的に手が加えられたケースもあった。中野は当時の資料を丁寧に調べつつ、戦時中の森岡の思いを復元してゆく。この一首でも原作の「再びは会ふも」という強い字余りが「再び会ふは」とあっさりとした表現に変更されるなど興味深い。森岡の夫は軍人であり、中国大陸で戦うが、昭和20年に帰還してまもなく病死する。幼い子供をかかえ、自らの結核も再発する。戦後の生活は貧困を極める。そんな凄惨な情況のなかで、「新日光」(昭和22年10月)に発表した「寡婦のうたへる」が大きな注目を浴びたのであった。
 ただ、おそらく「寡婦のうたへる」が注目されたのは、若い寡婦という作者の身に対する関心や同情が大きかったためでもあろう。『戦場の夫を想ふ歌』と同じように、〈戦争という情況の中で苦しむ女性の歌〉という枠の中で読者に読まれてしまう可能性はあったと思う。そしておそらく、運命に対して受身な女性、というイメージのほうが、世間的にも通用しやすかったはずなのである(現在でもそうかもしれない)。
 しかし『白蛾』という歌集は、そんな時代的な悲運を前面に出さないように構成されている。中野は「自身の置かれている立場や事柄に拠らず、内なる「われ」を現すことへの関心を持ちながら試行錯誤を続けていたのだろう。」と述べる。情況に流されて歌を詠むのではなく、自らの意志で歌を詠むのだ、という覚悟が生まれてきたのだろう。戦争が、夫の死が、他に恃まず自立的な表現者を目覚めさせたのだ。
 そして『白蛾』の歌の凄さは、〈受身〉であることをぎりぎりまで受け入れながら、最終的に反転させてしまうことである。たとえば初めに引用した「拒みがたき」の歌も、受身である自己が歌われているが、一首を読み終わったときには強烈な身体感覚が読者に伝わってくる。受身であることを徹底することによって、能動的な生命感(エロス)が匂い立ってくるのである。中野昭子がこの一冊の中で繰り返し論じようとしたのは、この反転の不思議さだったのではないか。
 「蛾を凝視しているわれが、一瞬、蛾とわれの共通性に沈みゆき、そして蛾を見ていた視線が蛾を通過してふたたびわれに向けられる。そこにわれは浮上してくるのである。これはわれを見る視線が蛾の目を通るということで、〈見るわれ〉と〈見られるわれ〉の間に距離が生じる。〔中略〕森岡が病み苦しむ自分を解き放って歌うということは、われから目をそらすことではなく、苦しむわれを突き抜けるまでも凝視することであった。自分自身を凝視し続けるために蛾という対象が必要であり、蛾の目が必要であったとも言える。」
 非常に微妙な内容を、中野自身の言葉で表現しようとしているので、この文章はかなり難解である。けれども、
花瓶の腐れ水捨てしこのゆふべ蛾のごとをりぬ腹張りてわれは

「女身」
や、初めに引いた「くるしむ白蛾」の歌を合わせて読めば、おのずから納得できることである。市川浩は『〈身〉の構造』の中で、「われわれが主体的に生きている身体(主体身体)は、決して皮膚の内側に閉じ込められているわけではありません。皮膚の外まで拡がり、世界の事物と入り交(か)っています。」と述べているが、森岡の身体は、周囲の物と入り交じるのである。白蛾は、森岡の身体の延長でもあった。このような主体のあり方を、森岡ほど意識的に表現した歌人は、ほかにいなかった。だから、森岡の歌は意表をつく表現であるように見えて、身体感覚的によく納得できるのだろうと思う。
沙魚(はぜ)が目をみはり手許に上がり来(く)と父は言ひにき死ななんとして

『甃』
 中野はこの一首をあげて、「なぜ「沙魚」なのかとの疑問は消えない」と書く。たしかに臨死の父がなぜ沙魚を幻視したのかはわからない。けれども、手を這いのぼる沙魚のぬらぬらした触感は、言葉を通して読者にいきいきと伝わってくる。「目をみはり」という表現に力があるのだ。憑依するように、言葉が身体感覚を伝えていく。それが『白蛾』以来ずっと変わらない森岡貞香の歌の本質であるように思う。
 中野昭子は、『白蛾』では戦争・病気という危機のため、〈われ〉が輝きを増し、次の歌集『未知』では健康が回復したために〈われ〉は「弱々しい厚みのない存在」となり、第三歌集の『甃』では中国旅行などにより外部との接点が増えたために〈われ〉は拡散していく傾向にある、とまとめている。
 ただ私は、中野が言うほどには森岡の歌の身体感覚が変化している感じはしなかったので、このまとめはやや意外であった。もちろん、中野の説のように読むことも可能だろうが、森岡の実生活と作品をやや性急に結びつけている感がないでもない。多くの短歌評論は、〈われ〉というキーワードを用いて書かれている。けれども、森岡貞香の歌は、むしろ〈われ〉という語に頼らずに書いたほうが新しい視野が生まれてくるのではないか、という感想も持ったのである。


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