カン・ハンナ歌集『まだまだです』書評

カン・ハンナさんの歌集『まだまだです』が、第21回現代短歌新人賞を受賞されたとのこと。大きな賞です。おめでとうございます。

2020年角川「短歌」4月号に書いた書評をアップします。お祝いの一つになればと思います。

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書評  カン・ハンナ歌集『まだまだです』

 ご存じのとおり、カン・ハンナは韓国人であり、日本語を学んで短歌を作るようになった。『まだまだです』には、言葉を知ることで世界の見え方が変わっていく体験が、とてもみずみずしく描かれている。
  らっきょうもオクラもみょうがも君に会い初めて食べた薄暑の野菜
 「君」に会うことで、さまざまな野菜を食べ、「らっきょう」などの言葉も知ることができた。自分が生きる世界が広がっていく喜びが素直に歌われていて、読者の胸にすっと入ってくる。「薄暑の野菜」という表現も、じつに爽やかである。
  君待てば綿雲が来る君待てばホオジロが飛ぶ来なくても飛ぶ
  生きること千年を超えるイチイの木あなたの時間を少しください

 カン・ハンナの歌は、リズムが大らかで伸びやかだ。それは文体だけのことではなくて、綿雲やホオジロやイチイの木と、同じ時間を共有していると感じる、開放的な自己の在り方が生み出しているのだろう。その一方、
  冷えてゆく研究室で先生がそろりと私に寄せるストーブ
のように、細かな動作を描写しながら、人の優しさを伝えてくる歌にも注目した。他者の行動を、シャープにとらえる眼があるのだ。
  私にも白髪が見つかり母親に追いついてきた朝は嬉しい
 韓国に住む母への思いは、この歌集の大きなテーマの一つだ。自分が母と一緒に老いてゆくことを喜ぶ、という歌を、私は初めて読んだ気がする。これが韓国と日本の感覚の違いなのかどうかは分からないが、新鮮な驚きを感じた一首だった。
  切ってあげる伸びた鼻毛を切ってあげる 母の頭をふんわり押さえ
もそうで、従来の母の歌にはないインパクトがある。人と人が密接に触れ合い、とても暖かい感じがする。
  聞いてもない帰化の条件聞かされる春の昼下がりはアウターに困る
 日本に帰化したら、と勝手に勧めてくる人がいるのだろう。さりげない歌だが、日韓関係の酷薄さが滲んでいる。その苛立ちを、春の上着の選びにくさに象徴させて歌っているのが、とても巧みだ。二つの国のはざまという難しい立ち位置から、単純な結論を出すのではなく、詩としての奥行きのある表現を生み出している。そこに私は深い敬意をもつのである。
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「塔」2020年2月号にも別の切り口から書いていますので、興味がある方は、こちらもご覧ください。引用歌が(あまり)かぶらないように、書評を書いた記憶があります。

http://toutankakai.com/magazine/post/10813/


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