『大東亜戦争歌集』抄③ 91~135

91
泣きやめてわが軍服のぼたんをばたぐさにとりし子ろし思ほゆ
花田榊

※「たぐさにとりし」は、手でいじった、といった意味。出征前に、幼い子どもが軍服のボタンをいじっていた姿を、遠い戦地で思い出しているのである。やや古風だが、哀切な一首である。

92
石臼の底に墨擦り亡き戦友(とも)の弔辞をわれは書き綴り居る
濱中喜好

※上の句の具体的な表現により、作者の姿がありありと見えてくる。墨はあったが、硯はないという戦場の不便さがよくわかる。戦地で弔辞を読んで、葬儀をすることもあったことに、改めて衝撃を受ける。非常に簡単で、わびしい葬儀だったのだろう。

93
砲弾に崩るると見し望楼の爆煙去ればもとのままに見ゆ
林正道

※激しい爆撃のため、もうなくなっただろうと思った望楼が、煙の中から再び姿を現した。映像を見るような印象を与える一首だ。古くて美しい望楼なのだろう、それが残っていたことに安堵する気持ちも、一首の背後にあるだろう。

94
鞍傷の湿布かへやれば馬はわれをまさぐるが如く鼻を寄せ来ぬ
日比野弘次

※軍馬と人間との交流を詠んだ歌は多い。上の句の「湿布」にあわれさがあるし、「まさぐるが如く」で馬の鼻のやわらかさや、温かさが、なまなまと伝わってくる。

95
たまたまを流氷ふれあふ音さびし江にそひつつ夜を行軍す
平野亮

※厳しい寒さの中を行軍しているのだが、じつに美しい一首である。闇の中、流氷がぶつかり合う音がしばしば響いてくる。「たまたまを」の「を」も巧く、ふと耳を澄ます様子も感じられる。

96
戦死せしことを知らねば分隊の戦友らは君の飯をのこしぬ
廣澤真沙三

※友の戦死を悲しみながら遅くに帰ってくると、それを知らない仲間たちは飯を残して待っていたのである。この後、皆が慟哭することが想像され、非常につらい一首である。

97
煙草の火敵に見せじと鉄帽に顔をうづめて吸ひ居りわれは
廣田稔

※戦場では、自己劇化する心理もあらわれるようだ。この歌の煙草を吸う様子、いかにもかっこいい。しかし、そのようにかっこよくふるまわないと、心が支えられなくなる、ということもあったのではないか。「顔をうづめて」という表現にも、おもしろさがある。

98
前の兵の跫音たのみてうつつなし幾夜をつづく行軍の列に
福永隆一

※「跫音」は「あしおと」と読む。真っ暗な中を移動するとき、前の兵の後をずっとついてゆくしかない。外れてしまうことは死を意味する。「うつつなし」とは、足音だけが現実だと感じられ、それ以外は闇の中の幻のような感覚なのであろう。

99
半時間前元気で行かうぞと別れたる戦友の屍体をのせし担架と行き逢ふ
藤木俊彦

※字余りが多く、言葉を整えることができず、事実をそのまま書きつけたという感じの一首である。たった30分前はあんなに元気そうだったのに、と茫然としている様子が、棒のようなリズムから伝わってくる。

100
モールス符号は虚しかりけり谷藤軍曹の戦死伝へてあと絶えにけり
藤倉吉治

※「谷藤軍曹」という人名が印象的である。「あと絶えにけり」も、死の沈黙を感じさせる。モールス信号を打っていた人も戦死したのかもしれない。「…けり」「…けり」の繰り返しが、どうしようもない空虚感を表わしている。

101
夕しぐれ降りつのり来て和田一等兵の柩の上に音たてにけり
船越利男

※これも「和田一等兵」という人名が心に残る。短歌の中にせめて名前を残しておきたい思いが、作者にはあったのだろう。柩に音を立てる時雨にも、哀感がこもる。

102
笑める子のうつしゑに血の凍れるを戦友(とも)はいだきつつ息きれんとす
古石申男

※子どもの写真を見ながら死んでいった兵士を歌っている。これも痛切という他にない一首である。血が凍るというのも凄まじい。ソ連近くの戦闘だったのだろうか。

103
稲妻の頭上に裂けしたまゆらを城壁よづる戦友(とも)あらはなり
古崎武一

※戦争映画の一場面のように、鮮明な一首である。稲妻が「裂けし」という表現がいい。「たまゆら」は一瞬という意味。危険な任務に挑む戦友を、はらはらしつつ見つめる眼差しが感じられる。

104
甲板を人あるくとき頭(ず)に近き鉄天井は錆を落せり
細谷玄太郎

※こうした戦場の中の日常が捉えられた歌も貴重であろう。狭い戦艦の中はこういう感じだったのか、と実感的によく分かる。何でもないようなことも、後の時代から見ると、新鮮に感じられることがある。

105
落葉松の生長調査中途にて召されこしより一年は過ぐ
松原謙蔵

※落葉松の研究をしている人が、兵として召集されることもあったのである。静かに歌っているけれども、調査の続きが気になり、一年が過ぎたことへの苛立ちもあったのではなかろうか。

106
対陣の丘にしあれば真新らし墓標はなべて敵に向へる
松本文男

※「真新し」は文法的には「真新しき」が正しいだろう。亡くなって間もない兵士の墓が、死後も、敵に立ち向かっているように見える、と歌っている。勇猛な表現ではあるが、生への未練を残したまま死んでいった兵への鎮魂の情もひそんでいるように思う。

107
四国部隊の架けし橋にか「善通寺」「金毘羅」「鳴門」と名付けしを渡る
松井善吉

※「善通寺橋」「鳴門橋」という橋を渡りながら、これは四国の兵が作ったんだろうな、と皆で笑っている場面だと思う。こんなユーモラスな一コマもあったわけで、戦場はただただ悲惨なばかりだった、と捉えるのも、おそらく一面的すぎるのだろう。

108
飯盒をならべて焚けば火のあかり生きて残りたる顔を照らすも
丸田節雄

※多くの戦友が亡くなり、なぜ自分たちは生き残ったのか、という問いに襲われるが、今は目の前の食事に集中するしかない。「飯盒をならべて」で場面が鮮やかに見えてくる。夜の「火のあかり」に照らされた顔は、どこか死者の顔のようにも見えてくるのではないか。死と生の境はほんの紙一重なのだ、ということを、みな痛感していたのだろう。

109
腹ばひて弾丸をさけつつ引きずりて収め来りし友がなきがら
水橋宏司

※「弾丸」は「たま」と読むのだろう。最後に「友がなきがら」が来る文体が印象的で、遺体を回収するまでの長い時間(実際には短い時間であっても、すごく長く感じたのであろう)が蘇ってくるようだ。「腹ばひて」「引きずりて」など動詞が多いことからも、じりじりと這ってゆく身体感覚が伝わるのである。

110
ひたすらに壕を深めて居るらしき敵が掬ひてこぼす土見ゆ
美禰國樹

※敵陣の様子を観察している歌である。「掬ひてこぼす土」という細かなところに注目しているところに、一つの味わいがある。もちろん敵ではあるが、必死に苦境に向き合っている行動に、共感するものがあったのではないか。一瞬だけだが、敵の中に人間を見ていたとも言える。

111
次次に銃さし上げて敵前を渡河するが見ゆ生も死もなし
宮柊二

※敵陣の前を、銃が濡れないように頭上に掲げながら、川を渡って様子を見守っている。無謀であるが、軍の命令には従うしかないし、やがて自分も同じように突っ込んでいくことになるだろう。「生も死もなし」という簡潔な結句が、戦争の本質を端的に摑んでいる。

112
暗きより兵の起き出で焚火をば掻きたててまた暗きにまろぶ
村崎凡人

※和泉式部の「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」を思い出させる一首だ。兵士が焚火を燃え立たせて、また眠ってゆく。ただそれだけを詠んでいるのだが、何か不思議な奥行きがある。和泉式部の歌を踏まえることで、いつかは闇の中に墜ちてゆく兵士の生命のはかなさを感じさせるからであろうか。

113
ほの白き夜の砂浜の一点より馳せひろがりぬ部隊の影は
村井出

※砂浜の一か所に部隊が舟で上陸し、そこから何人もの兵が走って広がっていく場面を歌っているのだろう。モノクロ映像のような色彩感覚があり、不思議な緊迫感が生じている。戦争詠の中でも、異色の美しさを持つ一首といえよう。

114
子に宛てて老兵父の書きし文を検閲しつついたくうたれつ
屋代温

※検閲官は非情なイメージがあるが、やはり人間であり、仕事で手紙をチェックしながら涙することもあったのだ。検閲官が詠んだ歌は他に見たことがなく、貴重であろう。

115
友の血にこはばりし服も一戦(ひといくさ)終れば泥つき厚くなりゐる
山上次郎

※悲惨だった友の死も、しばらく時間が経つと、他の苦しい出来事に紛れてしまい、思い出すことも少なくなってゆく。一つの悲しみに、じっと立ち尽くすことができないのも、戦争の本質といえるだろう。「血にこはばりし服」がなまなましい。

116
腹ばひつつやはらかき土に書きて見ぬ母といふ字のなつかしきかも
山田正雄

※「突撃寸前」という詞書が付けられている。「母」という字を書くことで、母を思い出し、死の前の思いがもし届くなら……と念じている。純粋な母への思いが美しく、記憶に残る一首である。

117
椰子の陰翳(かげ)くひ入るごとしただれたる熱砂をふみて部隊いでたつ
山内京二

※南国のまばゆい風景が、臨場感豊かに描かれた歌。椰子の影が「くひ入るごとし」という表現がよく効いている。厳しい暑さだが、平穏だったこの地から、軍はまた移動してゆく。名残り惜しさもふくまれた目で見つめているのだろう。

118
いく日か飯盒の底に持ちありき鳴るさへかなし君がみ骨よ
山内清平

※戦友の骨を飯盒に入れて移動しているという状況が哀切である。ときどき骨の音がして、そのたび、友の死を思い返すのである。ずっと飯盒に入れているのだから、米を炊くことがない、飢餓的な状況だったのかもしれない。

119
天が下なべて平ぎにいたる日を乞ひのむのみにわれも君も死なむ
山本友一

※おそらく「戦争は無意味なものだ」と考えてしまっては、実際に戦っている兵士は生きていけないのだ。欺瞞を薄々知りながらも、「天下が平和になる日のために、自分たちは犠牲になるのだ」と自分に言い聞かせて戦場に向かっている。この歌は一見、戦意昂揚にそのまま従っているようだが、「せめて大きな意義のあるもののために死にたい」という痛切な祈りによって生まれてきた歌なのだと思う。

120
数発の銃声ありしが後絶えて月夜に白く螢とびかふ
山脇清枝

※女性の従軍看護師による歌なのであろう。緊迫した日々が続いているが、そんな中でも、異国の螢と月の美しさを見て、心が安らぐときがあったのである。「銃声」と「螢」の対比が印象深い。

121
軽機うつと指折り曲ぐる真似ごともたはむれならずこころ嘆かゆ
湯村五郎

※おそらく負傷して戦地から帰ってきた人の歌なのだろう。もう武器ももてず、空襲してくる敵機に対して何もできなくて、ただ指で撃つ真似だけをしているのである。けれどもそれは遊びではないと歌っている。もう戦うことができなくなった人の、無念さやみじめさが伝わってくる一首だ。

122
大君のへに死なざりし身ふるさとに秋立つ今日の空を監視す
横田勇

※戦時中に作曲された「海行かば」の「大君の辺にこそ死なめ かへりみはせじ」を踏まえている。戦場から戻ってきて、故郷で空襲を監視する役に就いているのである。傷病による除隊だったのかもしれない。生きて帰ってきた後ろめたさや、戦場で得た知識を故郷を守るために使っている自負などが混じり合った、複雑な心理の歌といえよう。

123
雪晴れて真向かふソ連の陣地にも除雪の兵の蠢くが見ゆ
吉川禎祐

※向かい合う敵陣も、自分たちと同じように懸命に除雪をしている兵が見える。「蠢く」だから、もちろん嫌悪は含まれているのだが、正々堂々と戦うライバルとして見つめる視線も存在しているように思う。「雪晴れて」が明るく、決戦を前にしたすがすがしい思いも伝わってくるのではないか。

124
塹壕の底をし掘りて湧く水を飲みつつ飢をしのぎし日あり
吉田達夫

※飢えをストレートに詠んだ歌も、少数ながら存在している。上の句が具体的で、兵の辛苦が身に沁みて伝わるのである。「……日あり」なので、過去を回想する形になっているが、忘れることのできない記憶だったのだろう。

125
注連飾なひつつおもひしづかなりなひつつあらむ郷里にて妻も
和伊圭

※戦場にも正月が近づき、注連縄を作ったりしているのである。故郷で妻も、自分と同じように藁を綯っているだろうと思い、遠い人と一瞬心がつながるような思いを味わっている。「なひつつ」の繰り返しや「妻も」の倒置がよく、やわらかで、しみじみとした思いに包まれる。

126
われ病みて去りし部隊に弟の召さるると聞けばうれしかりけり
若林清

※この「うれしかりけり」は本当の嬉しさだったのだろうか。しばらく考え、やはり嬉しかったのだろうと思い直す。自分のいた部隊に行けば、知っている人も多く安心だし、病気の自分の代わりに、弟が名誉挽回してくれることも期待できる。戦争の時代が生み出した歪な〈嬉しさ〉であるが、それを支えに生きるしかなかったことも確かなのであろう。

127
大東亜の大みいくさに銃後なしと言へるはかなし常臥の身に
渡邊清

※出征している兵士と、銃後の人々の間に区別はない。兵士でない人々も、兵と同じような気持ちで軍事工場などで懸命に働け、と国は命令したのである。だが、「常臥の身」つまり重病の人たちはどうすればいいのか。国のために何もできなければ、生きる価値がない、と宣告されたような悲しみをおぼえたのである。この歌は、現在でも問いの重さを失っていない。社会の役に立たない存在は切り捨てよ、という声は、いつの時代にも生まれてくる。この一首が『大東亜戦争歌集』に、そっと加えられていることを、とても貴重に感じる。

128
わが作る弾丸もて敵をうてよとてかなしき妹の便り来にけり
渡邊志岐郎

※軍事工場で働く女性たちも、敵を殺すことが正しいことだと思いこまされ、武器を作り続けていた。この歌はどのように読めばいいだろう。一義的には、「妹」(「いも」と読み、妻あるいは恋人を指すのだろう)の愛国心を讃えた歌、と解釈できる。だが、愛する人さえ、人を殺す弾丸を作らされることを悲しむ思いも潜んでいたのかもしれない。そんな仕事はさせたくなかったのではないか。また、実際に弾丸で撃たれた人がどのように死ぬのか、知らない人の無邪気さに、心を痛めたのかもしれない。「かなしき」をどう捉えるか。短歌は多義的で、さまざまな思いをそこから引き出すことができる。

129
内地便今日は来れり行嚢を兵はよろこび担ぎゆくなり
渡邊清蔵

※「行嚢」は、郵便袋を入れる袋のこと。ふだんは、戦場と戦場をつなぐ郵便物が主だったのだろう。だが、ときどき内地からの郵便が届く日もある。それには家族や恋人などからの手紙が交じっているので、兵士は喜色満面で袋をかついでゆく。素直な喜びのあふれた一首である。

130
見えねども共に並びてほがらなり点字のごときうつしゑなきか
渡邊宏天

※おそらく前から持っていた、恋人あるいは家族と、微笑みながら並んで写っている「うつしゑ」(写真)なのだろう。しかし、戦争で視力を失ってしまい、もう二度と見ることはできない。点字のように、指でなぞって感じることができる写真はないものだろうか。そんな虚しい夢想をしつつ、写真に触れている。哀切な歌が多い中でも、ことに胸を打つ歌である。

131
携帯口糧包まむとせし新聞に東京爆撃の記事載りて居り
井上泰二

※戦闘に赴くとき、携帯用の食糧を新聞に包む。そのとき、東京が空襲された記事を目にしたのである。知人が東京にいだのだろうか。ショックと不安を覚えただろう。こうした本土空襲を詠んだ歌は、『大東亜戦争歌集』にはほとんど見られない。軍部に不興を招く歌は消されたのだろうか。この歌は、間接的な表現であったため、たまたま残ったのかもしれない。

132
小休止の命はありたり地に伏して草の夜露をむさぼりて嘗む
井上昇

※水も不足し、水筒に全く残っていなかったのだろう。戦闘が収まった一瞬に、草にすがりつき「むさぼりて嘗む」という行為が過酷である。戦場の厳しさをありありと描き出した歌だ。

133
天つ光うけてかがよふ煉乳の五百個のひかり堂にみちみつ
岡田要

※戦場に届けられた大量の練乳の缶を描いている。こうした手放しの嬉しさを詠んだ作は珍しい。「天つ光うけてかがよふ」「ひかり堂にみちみつ」と、まるで天国の風景のように、光り輝くさまを歌っている。甘いものが食べられるのは、兵士にとって極上の喜びだったのだろう。「五百個」という数字もよく効いている。

134
屍焼く夜なかの野焚(のだき)かなしもよときに薪の音ひびきつつ
小川清

※死んだ戦友を夜の野で焼くという荒涼とした風景が詠まれている。ときどき、バシッと薪がはぜる音が聞こえてきて、さらに寂莫とした思いになるのである。夜が明けるころには灰と骨になることを、悲しむことしかできない。「野焚」という言葉にも、どこか哀愁がある。

135
夜に入りて雨は増しきぬ濡れゐつつ咳入る軍馬の首抱き居り
小川三穂

※馬も咳をするということに驚かされる。心配して、長い首を抱いている行為に、馬への深い愛情がにじむ。「濡れゐつつ」であるから、自分も雨に濡れながら、介護をしているのである。共に戦っている馬は、かけがえのない友と言っていい存在だったのだろう。

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