柳宣宏歌集『丈六』書評

柳宣宏さんが亡くなったと聞いた。突然の死であったという。
あまりお会いする機会は無かったけれど、たしか明治神宮の短歌大会のときに、しばらくじっくりとお話ししたことを覚えている。
穏やかで優しい微笑が印象的な方であった。
砂子屋書房のHPで、私の歌集についていただいたことも、とてもありがたいことだった。

また、鳥居さんの『キリンの子』が出版された直後に書かれた文章は、柳さんの誠実な人柄がとてもよく表れているものだったと思う。

2020年の確か7月号の「現代短歌新聞」に掲載された、柳さんの歌集の書評を、哀悼の意を込めて、再掲しておきたい。

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柳宣宏歌集『丈六』書評
生きて在る喜び
     吉川宏志

 作者は海辺の町に住む。秋の海を詠んだ歌に、特に心惹かれる作が多い。

  すわりたる背のあたたかし秋の海生まれる前から見てゐた気がする
  握りたる拳ひらけばてのひらに秋の日は満つ海のほとりに

 晦渋なところはなく、明るく広がるような音感のある歌だ。「背」や「てのひら」を通して、秋の光の温かさを、身体で受けとめている。生きて在ることの喜びがまっすぐに伝わってくるのが、柳宣宏の歌の美質であろう。
 だが、歌に詠まれている日々には、さまざまな悲苦があった。

  母親が忘れはてたる息子として喉に閊へぬプリンを食はす
  棺なる母のひたひにひたひ寄せ思ひもかけず泣き崩れたり

 記憶を失ってしまった母と、その死。簡潔な歌い方の中に、哀切さが籠もっている。また、父や義父が体験した戦争を、自分の中で反芻しているような歌も印象深い。

  兵隊を殴らなかったのではなく殴れなかった父に会ひたし
  丸腰で歩兵の前を進むのさ工兵に長男は少なかつたな

 戦争を直接知っている人々がしだいに世を去ってゆく今、その記憶をせめて歌い留(とど)めたい願いがある。それが、

  冷え冷えと夜が明けてゆく国防総省(ペンタゴン)アメリカ兵の死を計算す

などの現代の危機を詠む歌にもつながってゆく。
 急病で倒れたことを詠んだ長歌もあり、決して楽観的ではいられない日々であった。それでも、妻や子などの姿を親しみ深く描くことで、生きることの良さを噛みしめる様子が伝わってくる。

  ちちのみを蔑せしわれにわが妻はやさしかりける思ひ出のみ言ふ

 他、座禅を題材にした歌もユニークだった。

(砂子屋書房・三〇〇〇円)

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