『篠弘全歌集』書評

2006年の「短歌新聞」に書いた書評だったはず。8月号か9月号だと思います。全歌集の書評を、短いスペースで書くのは、もともと無理があるのですが、苦しんで書いた記憶があります。篠弘さんの歌は好きで、会社に勤めていると、すごく共鳴するときがありますね。

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 サラリーマン短歌の多くは、組織に生きるつらさを諧謔的に詠む。つまり、歌う姿勢が受身なのだ。しかし篠弘の仕事の歌はそこが大きく違う。一言で言えば、組織の中で人間が密度濃く生きるにはどうすればいいかを、能動的に問い続けている歌なのである。
会合にありて発言の機を待つや椅子軋ましむ若きひとりが
発言を委ねたりしに若きらのひとり吃音にわが名を喚ばふ

 一首目は、先輩の多い会議の中で発言しようとする若者の気負いを敏感にとらえている。若者の覇気を好感をもって見つめているのである。しかし逆に二首目のように、期待していた若者が苦境に耐えられず、卑屈に助けを求める姿を見ることもある。企業の人間関係は自分の思いどおりにはならない。裏切りもある。しかしその孤独感に耐えながら、信頼し合える仕事の友を求めている。そんな力強いヒューマニズムが、篠弘の歌に、厳しいけれども爽やかな印象を生み出しているのだ。
 また、都市の中の季節感を、簡潔で硬質な描写でとらえた歌も味わい深い。たとえば「銀化する冬の日ざしにプラタナス枝伸びきりて空うばひあふ」の「銀化」という表現の美しさ。「秋冷のつのる夜半に入る訃報ファックスは横の線をきざみく」という歌にも、リアルで静かな哀感がある。
 海外詠が多いのも特徴で、歴史のロマンが大らかに歌われている。
塔門を見下ろす夕日照る丘に大き駱駝を乗り捨てむとす


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