鴇田智哉『エレメンツ』

鴇田智哉さんは、1969年生まれで私と同じ齢であり、不思議な縁で、もう20年くらい前からか、ときどきお会いすることがある。
最近、第3句集『エレメンツ』を出された。
私は、俳句については全くの素人だが、感想を少し書いておきたい。

太陽が蠅の生まれてからもある

句集の中で最も驚いた句。内容的には、全く当たり前のことである。しかし、言葉として表現されたとき、じつに奇妙な印象を受ける。なぜ、そんな奇妙さが生まれるのか、いろいろと考えてしまう。〈時間〉というのは、人間が言葉によって、前後関係を決めて、順番を作ることによって生じているものにすぎないのではないか。そういうことがこの句を読むことで見えてくる。「が」と「も」という助詞の使い方もおもしろい。

火が紙にくひ込んでゐる麦の秋

「くひ込んで」が力強い。動詞をふだんとは違うかたちで使うことによって、火の生命感がなまなまと伝わってくる。季語の組み合わせの感覚が、私は俳人ではないので、あまりよく分からないのだが、「麦の秋」もいいのではないでしょうか。

かなかなといふ菱形のつらなれり

聴覚を視覚的に表現した句。この方法もさまざまに試みられていると思うけれど、「菱形」にはなるほどと驚かされる。

街道を木槿の視点から覗く

芭蕉の「道のべの木槿は馬に食はれけり」を踏まえているのだと思う。視点を逆転させたら、自分のほうに近づいてきて食べようとする馬の顔が、アップで見えてくるのではないか。

思ひ出し笑ひでスベリヒユに会ふ
うなづくと滝の向うの音がする
咳の来るまへのまばゆい海の色

別々のところにある三句を並べてみた。こうした句に、何か今までとは違う新しさがあるような気がするのだが、うまく評をすることができない(繰り返しになるが、あくまでも素人考えにすぎません)
自分の中の無意識な身体的な反応(「思ひ出し笑ひ」「うなづく」「咳」)と、外界の風物(「スベリヒユ」、「滝」、「海の色」)との、偶然的な出遭いが、不思議におもしろく、新しいリアルな感覚を生み出している、といえばいいのか。
この句集には、他にも斬新な試行が含まれているのだが、むしろ私はこうした句に大きな刺激を受けた。

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