小林真代歌集『Turf(ターフ)』

小林真代さんの第一歌集『Turf(ターフ)』(青磁社)が出た。
小林さんは、福島県いわき市に住む歌人である。以前から、自由で伸び伸びとした発想の歌が注目され、平成22年度のNHK全国短歌大会では、「初めての試合は小林VS小林うちの子は負けたはうの小林」が大賞を受賞している。
その後、家の工事などをする職人という立場から、東日本大震災を描いた連作「雨降り松」で、平成25年に第3回塔新人賞を受賞している。しっかりとした描写力とともに、柔軟なリズム感があり、歌がいきいきしている。この歌集も、大変読みごたえのある一冊になっている。
ちなみに「ターフ」とは、小林さんがとても好きなジャズ・スポットの名前であるらしい。
以下、十数首を、簡単に紹介したい。

トンネルを数へつつゆく海岸線途中から海を数へてしまふ

かつて、リアス式海岸を走る電車に乗っていて、非常にトンネルが多いなと感じたことがある。トンネルを数えていたのが、海を数えるほうにいつしか入れ替わる、という意識の動きがとてもおもしろい。海を見る喜びも込められていて、印象鮮明な歌である。

高麗橋のたもとに送り火焚く三人しやがみてゐしが揃ひて立ちぬ

ずっと火を焚いていた三人が、「揃ひて立ちぬ」という何でもない動作が歌われているが、不思議に心に残る一首である。送り火なので、死者を思って火を見ていた。立ち上がるときに、その物思いから、日常に戻ってゆく。そんな時間の移り変わりに、深い味わいを感じるのだろう。「高麗橋」という固有名詞もよく効いている。

秋雨のやはらかなるのち濡れたまま月は上れり低きところに

さりげない自然詠だが、言葉のつながりに弾力のようなものがあって、惹かれる一首。雨の後、月も濡れているという把握もユニークだし、結句の「低きところに」で、情景がリアルに見えてくる感がある。

夕近し梯子をつかむ我が指が軍手のなかに冷えてをりたり

夕暮れになって、鉄製の梯子も冷たくなっているのだろう。軍手の中で指が冷える、という表現がこまやかで、作業をしている実感が強く醸し出されている。

「今日中に熱下げるから月曜には学校行けるな」凄いな少年

風邪を引いてしまったが、日曜中に熱を下げて、明日はいつものように学校に行こうとしている。学校が好きで、自分の健康な身体に自信を持っている少年(息子だろう)の姿がまぶしい。「凄いな少年」というまっすぐな結句がとても良く、感嘆している母親の顔が目に浮かぶ。

学校が立ちゐることに安堵して子と学校から水を盗みぬ

このあたりから東日本大震災の歌が増えてくる。結句の「学校から水を盗みぬ」にインパクトがある。水をこっそりもらってゆくときのかすかな後ろめたさ、でも、いつも子どもを見守ってきた校舎は許してくれるだろう、という思い。学校が変わらずに存在していることは、災害のときは、大きな心の支えになるのだろう。

つばくらめ村人よりも先に来て仮設住宅に巣をつくりをり

大震災が起きても、ツバメなどの自然の生き物は、いつもの年と同じように、生命の営みを続けている。その明るい情景を見ると、かえって被災地の生活の悲しさが身に沁みてくる。まだ村人が来ていない、無人の仮設住宅であることも、支援が遅れているなどの背景を感じさせる。

テーブルに散らばつてゐる年賀状のかたへに大き蛾が死んでゐる

作者は、家の工事の仕事をしている人で、被災地の家の取り壊しの現場にも出向く。その体験が、独自の震災の歌を生み出している。この歌は、廃屋になった家に入ったときに見たものをそのまま描いているが、人が急にいなくなってしまった後のなまなましい空気感を確かにとらえている。三月十一日にはテーブルにまだ年賀状も置かれていたのだろう。やがて夏が来て、飛び回っていた蛾も死に絶えてしまった。そんな時間の流れも感じさせる。

除染なら三十年は仕事がある。食ひつぱぐれない。やらないか、除染。

同僚の言葉を、そのまま歌にしている。除染という仕事を生み出してしまった原発事故の罪深さや、除染という仕事の危険さ。しかし、それによって生活が保障されることを期待する人々もいる。いかにも軽率な口調を、歌に写し取っているが、どんな状況でもしぶとく生きる人々への親愛感も含まれているように感じられる。考えさせられる一首である。

それぞれのかたちできつちり時間まで昼寝す我は助手席に腕組み

私も何回か見たことがあるが、職人さんは、昼休みの数十分間を、車の中できっちり眠ってしまう。横に誰かがいても、気にせずに眠れるようだった。その様子を、簡潔に切り取った一首である。作者も「腕組み」をしながら眠ろうとしているが、まだ他の職人ほどうまくは寝られず、周りを感心して眺めている風情がある。

千葉にある実家へ避難してゐしを話せば都会の人と言はれつ

被災地から、千葉の実家に避難していたら、帰るところがない地元の人から、軽い嫌味を言われた、という場面だろう。「都会の人」というのが、ちょっと笑ってしまうが、こうしたささいなことから、人間関係がこじれてしまったりもする。被災地の、リアルな空気をとらえた一首といえるだろう。

「避難者と市民の間にあつれき」とふ見出しの市民の一人か我も

都市部に、多くの被災者が避難してきて、しばしばトラブルが起きたりする。自分は避難者に対して温かく接しようとしていても、〈あつれきが起きている〉という記事が出ると、「市民」の側に組み入れられたような感覚になる。「避難者」にもさまざまな人がいるし、「市民」にもいろいろな人がいる。それでも、報道されるときは、「避難者」「市民」という大まかな枠で論じられてしまう。そうした報道を批判するわけではないが、小さな違和感を簡潔に言語化している。はっとさせられる歌である。

夜が先か雪が先かと思ひつつカーテンを閉ぢ灯りを点す

夕暮れになり、雪が降るのが早いか、真っ暗になるのが早いか、と思っている。もう家の中は薄闇になっているのである。上の句はやや早口のリズムで、急に暮れてゆく冬の夕べの様子が伝わってくる。

どこへでもゆけるおまへをどこまでも追ひゆかむ甲状腺検査は

息子が成長し、家を出てゆく場面を歌っている。これからは「おまへ」の人生なので、自由に生きていってほしい、という願いと、ずっと検査をし続けなければならないことを心配する思いが混じり合って、切ない一首である。「おひゆかむ・こう/じょうせんけんさは」という特異なリズムが、複雑な思いを反映している。

福島から来ましたと新しい街で言ふだらうまだ寒い春の日に

これも家を出ていった息子を詠んだ歌。自己紹介で「福島から来ました」と言ったとき、いろいろな反応を浴びるだろう。もしかしたら、その反応に傷つくかもしれない。けれども、しっかりと生きていってほしい、という母親の思いが切ない。「まだ寒い春の日」には、厳しさとともに、希望も感じられる。あの「月曜には学校行けるな」と言っていた少年が、もうそんな年になったのか、と読者は感銘を受ける。それも、長い年月を描いた歌集を読むときの味わいの一つであろう。

冬の日を避けむと首を傾げたる角度のままに眠る助手席

助手席で眠る歌は前にもあった。そのときよりも、うまく眠れるようになっている感がある。上の句の描写が丁寧で、その細部が、確かなリアリティーを生み出している。

靴のなかで何かを摑む足の指勾配の急な屋根に立つとき

家の工事で、屋根の上に立っているときの歌。靴の中で足の指を曲げても、何かをつかめるわけではないのだが、無意識のうちに身体は必死に、屋根にしがみつこうとしている。そうした自分の身体の様子を冷静に観察することで、屋根の上に登ったときの感覚が、読者にもなまなましく響いてくるのである。

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