再録「2006年、結社とは何か」

「國文學 解釈と教材の研究」2006年8月号のために書いた文章です。もう14年になるのか。当時は、短歌結社が法人化するのはかなり難しかった記憶があるのですが、その後、一般社団法人の設立がわりと手軽になり、私の所属する塔短歌会も、2017年から一般社団法人になりました。未来予測としてわりと当たっていたかもしれません。

数箇所、表現を修正したところもありますが、内容はまったく変えていません。今も、短歌結社に対する私の考え方はあんまり変わっていないように思います。進歩がないというべきか。私は、目の前の現実を観察することで、少しずつでもどう改善していくかを考えるタイプなので、あまり大きなことを書いていませんが、いくばくかの参考になれば幸いです。

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2006年、結社とは何か

●NPO型の結社
 短歌をやっていない人には、「結社」という存在が非常にわかりにくいものらしい。「結社」というと秘密結社をイメージされてしまい、印象が悪いので、あまり使わないようにしているという人もいる。
 ただ、さほど特殊なことをしているわけではない。多くの結社のシステムはこうだ。
 結社の編集部は月刊で短歌誌を発行し(隔月刊・季刊などの場合もある)、結社の会員は会費を払えば自分の作品をそこに掲載してもらうことができる。もっとも自分の作品のすべてが掲載されるわけではない。選者がいて、原稿段階で作品を読み、よくないと判断した歌は落とされる。選者が一定のレベル以上と判断した歌だけが掲載される仕組みなのである。この選歌(せんか)という制度がある点が、同人誌と大きく異なる点だ。
 また結社では、歌会(かかい・うたかい)を定期的に行っている。歌会に参加すれば、お互いに作った歌を批評し合うことができる。大きな結社には、全国にいくつも歌会を持っているところもある。選歌と歌会については、後で詳しく触れる予定である。
 結社の大きさはさまざまで、数千人の会員を持つところもあれば、百人内外というところもある。結社の主宰者や選者の影響も大きく、有名な歌人や実力のある歌人である場合は、会員が多く集まりやすいようだ。
 けれども結社も組織である以上、ただ優れた歌人がいるというだけでは成り立たない。毎月短歌誌を出すのだから、会費を集めたり校正をしたり発送をしたりといった雑用が増えてくる。結社の会費は年に一~二万円程度なので、千人の会員がいる結社でも、月々百万円くらいの予算しかない。短歌誌の印刷費と発送費だけでもギリギリという状況である。だから雑用の多くは会員のボランティア頼みになってしまう。そのような仕組みがきちんとできたとき初めて、結社は存立することができる。実際、発刊遅延などのトラブルで解散した結社も少なくないはずである。
 主宰者が独裁的で、自分の考え以外を認めなかったり、会員の私生活にまで口を出したりする結社が現在でもあるという。自分の結社以外の人と交流しただけでいじめられたといった嘘のような話もしばしば聞くことがある。ただ、そのような閉鎖的な結社には、新しく若い人が入ってこないので、しだいに衰退していくことになるだろう。
 非営利で文化の普及活動を行うのであるから、短歌結社はNPO法人に近いのではないか、と最近私は考えている。利益を出すわけではないのだが、ある意味で社会を豊かにしているわけだし、組織体としてもしっかりしている。そこが似ているのである。実際にNPO法人の資格を取得した短歌結社は寡聞にして知らないのだが、現在勢いを増しているのは、NPO型の結社がほとんどであるように思われる。そのような結社からは若い新人が登場したり、話題になる優れた歌集が刊行されたりすることが多い。

●短歌とボランティア
 前述したように、短歌結社ではボランティアで雑用がまかなわれている。毎月雑誌を出す場合、一般の企業ならば専任の社員を置くことができる。けれども短歌結社では十数人の会員が分担することで毎月の仕事をこなしている。それがいかに大変な労力を強いることになるか、想像はつくであろう。金銭的にはほとんど見返りはない。
 けれども、それほど嫌がらず、むしろ喜んでそうした仕事を引き受ける人が、勢いのある結社からは出てくる。不思議な吸引力が、活気のある組織からは生まれてくるようなのである。そして結社の人間関係の中に深く入っていく人は、そこから刺激を受けることによっておもしろい短歌をつくりだすようになることが多い。反対に、そんな仕事を無駄だと思ってまったくやらない人が、意外に作歌で伸び悩んだりする。
 ボランティアの言葉で「与えるほうが、与えられている」というのがあったように記憶する。たとえば重病人の世話をすることによって、逆に生きる希望を与えられることがあったりするという。私はそこまで劇的な体験をしたことはないが、結社のボランティアをすることで、何かしら無形の利益を得ている実感はある。結社にはさまざまな世代のさまざまな人生を送ってきた人が集まってくるので、そういう人たちと交流するうちに、人間に対する見方が深まったような気がするのだ。仕事上での付き合いだと利害が絡むので、本音はなかなか言いにくいが、短歌を通して接していると、自然に他者の生き方に触れることになるのである。
 特に歌会で互いの歌を批評し合うときには、自分と相手との感じ方・考え方の違いがわかり、深く対話をしていくことになる。たとえばイラク戦争を題材にした歌が歌会に出された場合、その歌を批評することでお互いの歴史観や人生体験なども浮き彫りになってくることがある。短歌という共通の表現がなければ、世代や職業などの違う人とそうした話題について真摯に対話するのは難しいだろう。短歌にはそのようなコミュニケーションの媒体としての力があるのである。

●コミュニケートする読み
 永田和宏は、現代の結社の本質について次のように述べている。

 「結社という場は、決して歌の作り方を教えるところではなく、歌の読みの多様性を教える場、それを実際に体験する場であり、それがひいては作歌に資することになる。そのために、歌会と選歌という二つのもっとも大切な機能がある」
(『昭和短歌の再検討』砂子屋書房 p.289)

 結社は従来、作者の立場から言及されることが多かった。それを転回し、読者の立場から結社を捉えた点が永田の論の斬新さであったと言えよう(読者論的結社論)。
 ただ、ここで最も大切なのは、「他人の歌を読むことが、自分が歌を作ることに密接に関係している」ということであろう。短歌という詩型自体も、「与えることは、与えられること」という不思議な関係に支えられているのである。
 わかりにくいと思うので、最近体験した例を挙げよう。

『サンタクロースのせいにしよう』という本を借りて帰れば君は怒りぬ

 私の参加している歌会でこのような歌が出された(作者名は歌会中は隠されている)。出席者の中から、「この歌を読んでもなぜ君が怒ったのか理由がわからない。だから、理解できない歌だ。」という声が上がった。つまりこの人は、この歌にコミュニケートできないと表明しているのである。
 それに対して私は、だいたい次のように発言した。
 『サンタクロースのせいにしよう』はおそらく童話なのだろう。だからこの作者は幼い子供のいる親で、「君」は夫あるいは妻だと読むのが自然な感じがする。おそらく作者も、「君」がなぜ突然怒り出したのか、理解できなかったのだろう。だから、この歌では戸惑いをそのまま表現しようとしたのだと思う。家族の中であっても、わけのわからない他者の感情にぶつかることがある。その違和感を淡々と詠んでいるところが、この歌の良さなのではないか。
 私はこのように読むことで、この歌にコミュニケートしようとしたわけである。結果的に作者は山下裕美さんという若い母親である人の作品であることがわかった。私の読みはだいたい正鵠を射ていたようである。
 もし、この歌が歌会で「理解できない歌だ」で片付けられていたらどうなるであろうか。作者は歌会に参加する意欲をなくすかもしれないし、あるいは理解されるように、「君」が怒った理由を歌の中に入れようとするかもしれない。しかし、本来は「君」がなぜ怒ったのかわからない衝撃をきっかけに歌を作ろうとしていたはずである。もしそれをわかりやすいように改変してしまったら、作品に偽物の感情が混じってしまうことになる。
 読者のコミュニケーションの能力が低いときや、コミュニケーションを図ろうとする意欲が感じられないとき、短歌の作者は無意識のうちにわかりやすく説明した歌を作ってしまいやすい。「理解できない」と言われるのは誰だって辛いことだから。しかしそれを続けていては、詩的な飛躍がなく、おもしろみのない歌しかできなくなってしまうだろう。
 しかし、もしもそのような場にあなたがいて、状況を変えようと思ったなら、あなた自身が他者の歌と深くコミュニケートする読みをしていかなければならない。もし、そのようにあなたが他者の歌を読んだとしたら、逆にあなたの歌を、他者も深くじっくりと読もうと努力してくれるであろう。
 もちろん作者のまったくの独りよがりの歌も存在するので、コミュニケーションがいつも成立するとはかぎらない。しかしコミュニケートしようとする意志を持ち続ければ、やがて短歌を通して豊かな対話ができる場が醸成されてくる。そのような場からは、結果的に新鮮な作品が生まれてくるのだと思う。そして結社の活力とは、そうした小さな対話の積み重ねの上にしか存在しないものなのだ。

●選歌の重要さ
 その一方、選歌というのは厳しさを含むコミュニケーションである。歌会であればよくない点を指摘することができるが、選歌の場合は問答無用で歌を落とすことになる。
 私が選者をしていて、最も辛く感じるのは、たとえば家族の死を歌った作品があったとして、悲しい気持ちはわかるのだけれども、作品としては陳腐であるため、落とさねばならないときである。作者の思いがこもった歌を落としたために、選者が恨みを買うということもよくあることだ。
 短歌を読むときに大切なのは、作者の身になって読むということだと思う。先ほどのサンタクロースの歌でも、作者の身に自分を置いて想像することで、感情が伝わってきたのだった。
 しかし同時に重要なのは、作品の中に入っていくとき、作者と同一化してしまってはいけないということだ。作者である〈あなた〉と、読者である〈私〉は、別の人間なのだ、という一線は厳しく守らなければならない。いくら同情しても、短歌としてよくない場合は落とす、という決断力は失ってはいけないように思うのだ。
 よく歌会で、「私もこの作者と同じところを旅行したので、よくわかります」とか「私も同じ体験をしたので共感します」という言い方で、それほどおもしろくもない歌に感動する人を見かけることがある。こういう人は、自分と作者を同一視してしまっているのだ。それでは他者の歌を読んでいることにならない。自分の経験をしゃべっているにすぎないのである。
 選歌をすることによって、多く歌が載る人と少しだけしか歌が載らない人が出てくる。言ってみれば〈格差〉が生じてくるのである。それは歌が少ししか載らない人にとっては辛いことであろう。けれども、そうした〈格差〉がつくことによって、誌面に活気が生まれてくることも事実である。選歌が納得のいくものであれば、次回がんばればもっと多くの歌が載るかもしれないという希望が出てくるはずである。逆に選歌がいい加減だと、会員の作歌意欲は停滞してしまうだろう。選歌は結社を活性化させる重要な鍵の一つである。

●〈型〉を学ぶ場
 もう少し別の視点から、結社の役割について考えてみよう。
 短歌を作るには、ある程度〈型〉を身につけることが必要である。たとえば五・七・五・七・七に音数を合わせることも、初心者では結構難しい。無理に音数を合わそうとして、無理な日本語になってしまうこともよくある。それから短歌では文語(特に「たり」「き」「べし」などの助動詞)を使いこなすことも大切なのだが――最近は話し言葉だけで作歌する人も現れているが、それだけでは作品の幅が広がらない――、文語を使い慣れないうちは、ぎこちない表現になりがちである。しかし、指導を受けながら作歌を続けていると、自分の思いを短歌のリズムに乗せて、自然に表現できるようになる。
 これはダンスを学ぶのと近いのだろう。ダンスでは、個性的な表現をする以前に、ステップなどの〈型〉を訓練して身につけなければならない。短歌はダンスのように身体を使って表現する芸術ではないけれど、リズムのある定型詩であるために、身体に根ざした言葉で作歌する力が大切なのである。
 最近届いた「星雲」七号に、林田恒浩がおもしろいエピソードを紹介している。まだ大学生だった寺山修司が、木俣修の結社「形成」の歌会に出席したときの話である。

音たてて墓穴ふかく父の棺おろされしとき父目覚めずや

寺山修司

 この歌は十五点の高点を集めた。ところが、
「木俣修はこの歌を少しも褒めないばかりか『ときとやのテンスの関係がおかしい。表現の完備をさせずして良い歌は作れるはずはない』と一喝。立ち上がって激しく反駁する寺山と応酬する修。歌会終了後も、寺山は憤懣やるかたない様子であった」
という。そしてこの歌は歌集『空には本』に収められたときに、

音たてて墓穴ふかく父の棺下ろさるる時父目覚めずや

と改作されたそうだ。
 たしかに木俣修の言うとおり、「おろされし」は過去形なので、「目覚めず」の現在形と時制が食い違う。「下ろさるる」と現在形で統一したのは、文法的に正解であった。そしてもう一つ大きいのは、「下ろさるる」の「るる」という音の響きが、棺が宙吊りになっている不安定な様子とうまく合っていることで、おそらく寺山はそこまで考えた上で改作したのではないかと思う。原作と改作の差はほんのわずかだが、「下ろさるる」だと棺がゆっくり下へ動いていく様子が実感的に伝わってくる。「おろされし」ではその動きが出ないのである。言葉のリズムが、作品のイメージを変化させてしまうのだ。私が先ほど書いた「身体に根ざした言葉」というのは、こうしたことを指している。
 このように、結社の歌会の場は〈型〉を身につけるために最も有効であることが多い。別に結社でなくても短歌が好きな人たちだけで歌会は開けると思う人もいるかもしれない。しかし、寺山の歌のように高点を取った場合、木俣のように別の観点から異を唱える人が存在するかどうか、ということが重要なのである。それがなければ、短歌の評価がそのときの人気だけで決まってしまうことになる。〈型〉というのは、長い伝統を踏まえたものであって、それを知るということは、歴史的な視点から一首の歌を判断することにつながっていく。

●時間を蓄積する結社
 もう少し似たような例を補足すると、短歌や俳句では〈類想歌・類想句〉の問題が大きい。初心者の多い歌会などでよくあるのだが、その場ではとても好評であるけれども、実は有名な作品とよく似ていたり、ずっと昔に流行した陳腐な表現であったりすることがある。見る人が見れば大したことのない作品を、みんなで褒めているという現象が起きやすいのだ。類想歌を作るのが悪いと言っているわけではない。歌を始めたばかりの人は先行する作品をほとんど知らないから、それはしかたがないことだ。しかし、読み手の側に短歌の歴史や蓄積をよく知っている人が存在することは必要で、そういう人が価値の判断に加わらなければ、短歌の批評は非常に薄っぺらなものになってしまいやすいのだ。「本当に新しい歌を作るためには、古い歌を知らなければならない」と、以前私はある歌人(注:志垣澄幸さん)に言われたことがあるが、確かにその通りだと思う。
 こうしたことを押さえて考えてゆくと、結社の役割は、長い時間をかかえこむことによって、豊かな価値をつくりだすことにあるのかもしれない。それは森林が雨水を長い時間貯め込むことにより、途切れることのない清流を生み出すのとよく似ている。
 特に現代は言葉が使い捨てにされているような時代で、テレビでは流行語が次から次に生まれて消えていくし、書籍のベストセラーも目まぐるしく入れ替わっていく。しかし、詩歌の世界までそうなってしまってはまずいと思うのだ。
 昨年の春、私の所属している結社の選者であった田中栄氏が亡くなった。今年になって田中氏の遺歌集『海峡の光』(青磁社)が出版されたところである。闘病期に詠まれた歌を含む重厚な一冊である。田中氏は、決して歌壇的に有名な人ではなかった。むしろ実力の割には冷遇されていた歌人だったと言ってもいいだろう。けれども、結社の中では田中氏の静謐で鋭い写実の歌を好む人は多かった。『海峡の光』は出版基金の寄付を結社内で募って製作されたのだが、予想以上の寄付が集まり、大変驚かされたのである。

月の出の風疾くなり曼珠沙華花は花をば打ちてなびきぬ

 田中栄氏の代表歌とされる一首。「花は花をば打ちてなびきぬ」という下句が、曼珠沙華(ヒガンバナ)が低く群がっている様子を鮮明に描写している。こうした歌が結社の中で語り継がれていくことになるのであろう。結社には田中氏を知らない人々もやがて入ってくる。そうした人にも、田中氏が生前どのような人であったかは伝わっていくであろう。ヒガンバナを見たときに、田中氏の歌を思い出す人も出てくるかもしれない。作者の死後も言葉は生きているのである。結社があるために、田中栄の歌は忘れられずに静かに残っていく。そう思うと、深い感動のようなものが胸のなかに湧きあがってくるのである。
 商業主義の世界では売れるものしか残っていかない。いくらいい作品でも、売れないものはすぐに絶版になってしまう。だから弱肉強食の凄まじい競争になる。そんな状況では、言葉に対する虚無感ばかりが増加してしまうのではないか。だから逆にインターネットの世界では、その場かぎりのおびただしい言葉が洪水を起こしている。
 けれども、そんな世界がすべてなのではない。読者はほんの少数だけれども、言葉が時間を超えて豊かに伝わっていく世界もあるのである。おそらくそうした言葉の流れに触れた人は、あたたかな懐かしさを感じるのではないだろうか。結社とは、そんな小さな水脈を守る場でもあるのである。

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