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【連載小説】No,5 二日目のお客様(改題:魔法の笛)(前)

 営業二日目の朝。
 私はスマホのアラーム音で目覚めた。

「…………朝か」
 カーテンの隙間から床にこぼれ落ちている陽射しが眩しい。
 今日も天気はよさそうだ。
「でも、まだ眠い…………やっぱ夜九時まで店開けてると、必然的に寝る時間も遅くなるなぁ。絶対お肌によくないよ~」
 しばらくシーツに潜ってウダウダしていたが、今日は予定があることを思い出して仕方なく起き上がり、ベッドを這い出た。カーテンを引き、窓を開け放つ。
 近くの電線に止まっているスズメが元気に鳴いている。
 空には雲ひとつない。
「うん、いい天気」
 気持ちがいいので、その場で大きく朝の空気を吸い込んだ。全身に纏わりついていた眠気が少しずつ遠のいていく。
 ふと視線を落とすと、店の前の道に佇んでいる人影を見つけた。
「え!? こんな時間から?」
 目覚ましの設定時刻は午前六時半。勤めに出ていた頃より三十分早い。
「まさか、うちのお客さんじゃないよね」
 さすがにこの時間からやってくる客なんているはずがない。
 きっと扉の前に立っているのは偶然で、何か別の理由で立ち止まっているだけだと思う。誰かを待っているとか。……たぶん。
「おっと、こんなことしている場合じゃないわ」
 私は窓を閉めると、急いでパジャマを脱ぎ捨てた。
 仕事は昼からだから本当はもっと寝ていても構わないんだけど、閉店時間が夜九時ということは仕事終わりにスーパーに行くことができない。駅前のコンビニに駆け込んでレトルトやお弁当を買うのもたまには有りだけど、毎日は不経済だし健康にもよろしくない。なので、できれば家事はできるだけ午前中に済ませておきたいのだ。掃除、洗濯、食料や日用品の買い出し。やるべきことはそれなりにある。
 加えて、今日はもっと大事な用件が控えていた。
 区役所での住所変更と郵便物転送届の提出。
 日常がファンタジー色強めになってきているのでうっかり忘れそうになるけど、私がいるのは異世界じゃなくてごく普通の現実世界。当然、役所への届け出とかリアルな面倒ごとも避けては通れないわけで。ちゃんとこの店にも番地があるらしい。
 転送届はネットでもできるみたいだけど、同じ区内でも住所変更は窓口に行く必要があると区役所のホームページに書いてあった。どのみち住民票だけじゃなくて年金や健康保険の住所変更も必要だから、できれば一緒に済ませてしまいたい。そうすると結構時間がかかりそうなので、もしも窓口が混んでいた場合、下手をすると開店時刻に間に合わなくなってしまう。
 しかも役所はちょっと不便な場所にあって、その方面を通るバスは本数が少ないときている。だから目覚ましアプリのアラーム時刻を早めにセットしておいたのだ。窓口が開く時間を狙って行くためには、ぐずぐずしている暇はない。
「よし、やるか」
 私は手早く着替えを済ませると、洗面所に向かった。
 身支度を整えたら、まずは洗濯だ。

「うーん、いい香り……」
 淹れたてのコーヒーの香りが鼻孔をくすぐる。
 トレイにはこんがり焼いたトーストとスクランブルエッグ、ウインナー、ちぎったレタスが少々。時間がない朝はインスタントコーヒーとトーストだけだったりするんだけど、今朝はちゃんとドリップコーヒーを淹れた。その方がしっかり目が覚めるから。
「なるべく早く戻ってくるけど、留守番お願いね」
 私は少し焦げたウインナーをもぐもぐと頬張りながらクロに伝えた。
「口の中に物を入れたまま喋るのはマナー違反。行儀悪いよ」
「……ふぁい」
「大丈夫だから、慌てて転んだりしないようにね」
「しないよ、子供じゃないんだから」
「どうかな。琴音は案外そそっかしいから」
「ひどーい。これでも前の会社やご近所ではしっかり者で通ってたのに」
 仔猫(本当は全然子供じゃないけど)に心配されるほど、私は抜けているのだろうか。
 そう考えると、ちょっと落ち込む。
「……そういえば昔、母さんにも言われたことあったっけ」

 しっかり者の琴音ちゃん。
 学校や近所のおばちゃんたちにはそう呼ばれていたし、自分でもそう思っていた。
 年下の子たちには世話焼きタイプのお姉ちゃんで通ってたっけ。
 でもうちの母親が一人娘に抱いていた印象は、世間とは少し違っていたみたいで。
『あんたはしっかりしてるようで、ちょっと抜けてるとこあるから、面倒なことに巻き込まれたりしないか心配だわ』
『そうかな。誰にもそんなこと言われたことないけど』
『鈍いわけじゃないのに、暢気でお人好しなんだもの。お父さんそっくり』
『嬉しくないな』
 いつだったか、そんな会話を交わした覚えがある。
 母がまだ元気だったから学生の頃だ。
 そして、その憂いは社会人になって見事に的中してしまった。
『余計な口出しさえしなければ、目を付けられることもなかったのに』
 ――――唐突に過去の苦い記憶が甦る。とっくに振り切ったから、もう胸が痛むこともないはずなのに。
 やっぱり私は少し迂闊なんだろうか。

「……音」
 どれだけぼうっとしていたのだろう。
「琴音」
「ん?」
「そろそろ出る時間じゃない?」
 クロの声で我に返ると、いつの間にか時計の針は八時を回っていた。
「あ……やばい! ゆっくりしすぎた」
 慌ててトーストの最後のひと口を頬張り、コーヒーと一緒に喉に流し込む。空いた食器はひとまず流し台へと運んだ。片付けは戻ってきてからにしよう。
「えーと、スマホと財布と身分証……だけでいいんだっけ?」
 結局、出る時間ギリギリになってしまい、裏口の門扉に引っかかって躓きそうになったけど、転ばなかったからセーフということにした。

 区役所での手続きは思ったよりスムーズで、さほど待たされずに済んだ。でも少し経ってから続々と人がやってきて順番待ちの人数が増えたから、やっぱり朝イチで駆け込んだのは正解だったんだと思う。
 帰りはバス停をひとつ手前で降りて、スーパーで買い物をした。
「仕事が終わったらサッと食べられるように、何か作り置きしておこうかな」
 両手に荷物を抱え、あれこれメニューを考えながら歩く。
(今日買った鶏肉に、ちょっと残ってるカレー粉で下味を漬けておいてタンドリーチキンにするのもいいなぁ……あ、でもクリームパスタもいいかも……)
 そうして、裏門へと続く細い脇道に入ろうとしたとき。店の前にじっと立ち尽くしている人物がいることに気がついた。
(えっ、まさか今朝の人!? あれからずっといたの?)
 さすがに放っておくわけにもいかない。
 仕方なく、私はそっと近づいていって声をかけた。
「あのぉ……うちの店にご用ですか?」
「……ああ」
 閉まっている扉をじっと凝視したまま短く答えたのは、三十代くらいの男性だった。
 服装はお坊さんみたいな格好だけど、坊主頭じゃない。髪型も含めて、容姿はごく普通の男の人、に見える。今回も。
(単に看板の文字が読めなかった……わけじゃない、よねぇ)
 初日は気づかなかったんだけど、表の看板には店名だけでなく、小さな文字でちゃんと営業時間も記されている。ただし店名の『魔』と同じで、普通の人には読めない。視覚障害がなくても。
 つまりショーウィンドウもなく、看板に道具屋としか書いていないこの店がいったいどんな商品を扱っているのか、通りを歩く一般人には判然としないはずだし、営業時間すらハッキリ分からないような怪しげな店に、早朝から開店を待って立ち続ける人間などいるはずがないのだ。私たちの、この世界には。
「えっと……うちの店はお昼からなので、開店まであと二時間近くあるんですけど……」
「問題ない。ここで待つ」
「いや、でも……」
「迷惑か?」
「そういうわけでは……」
 迷惑というより気になるんです、私が。
「ならば、構うな」
 押しが強いな。しゃべり方、お坊さんというより武士みたいだし。
 いったいどこの世界から来た人やら。
「…………」
 数秒後、深々とため息をついてから、私は店のドアの鍵を開けた。
「どうぞ。お入りください」
「……よいのか?」
「はい」
 本当はたぶんよくないんだろうけど、まぁ仕方がない。この人がずーっと扉の前に立ってるって思うと、気が散って掃除とか料理なんてやってられないだろうし。
「ただ、ちょうど今、買い物をしてきたところなので、申し訳ないですけどこちらでもう少しお待ちいただけますか?」
「相分かった」
(カタイなぁ)
 私は男性客を店内に残し、ひとまず買ってきた品を二階のキッチンへと運んだ。
 すると、すかさずクロがお帰りと声をかけてきた。
「もう店を開けたの?」
 さすがクロ、こっちが伝える前に分かっちゃうとは。
「うん。朝からずっと扉の前に立ってた人がいてね。開店時間まで待つって言われたんだけど、気になっちゃうから入ってもらったの」
 冷蔵庫にバターやミルクをしまいながら、ふと気になってクロを振り返る。
「……まずかったかな?」
 時間外でも来れば開けてもらえると思われたらまずいとか、そういう意味合いではなく、私が知らない別のところで何か引っかかることがあるのかと一瞬不安になったのだ。
 なにしろここは普通の店舗じゃないから。
「決まった時間以外にお客さんを入れたら恐ろしいことが起こるとか」
「ないない。そんなおかしなルールはないよ」
「よかった」
「ここをどんな店だと思ってるのさ」
「だって入ったら勝手に明かりつくし、商品の出し入れも管理してくれるし、金銭の入出金も全自動だし」
「いいじゃないか、便利で」
「そうだけど……」
「で、どんなお客さんなの?」
「んーとね……お侍さんみたいに話す人」
「……?」
 ですよねぇ。それだけじゃ何も分からない。
 私はクロと連れ立って一階へと降りていった。
「お待たせしました」
「いや」
 その客は言われた通りの場所に立ち、静かに私を待っていた。
「それで、何をお探しでしょうか」
「ここに有ると聞いたのだ」
「ですから何を……?」
「笛だ」
 男性客は厳かな口調で告げた。
「眠りを誘う魔法の笛を所望する」
 確かにこの店には楽器も何点か置いてある。確かヴァイオリンやフルートがカタログに載っていたはずだ。でも眠りを誘うなんて、そんな笛あったかな。
 首を傾げながらカタログを開く。
「えーと……笛……笛…………あった! 人も魔物もその音色を聞けば眠りに落ち、自在に操れる不思議な笛、ね」
 だいぶヤバそうな感じの商品だけど大丈夫かな。いったい何に使うんだろう。
 光に導かれて店の棚から取ってきたその品は、実に雅で古めかしい木製の横笛だった。能とか歌舞伎などの古典芸能の際に使われているようなやつだ。そして案の定、結構お値段が高かった。
「……金子が必要か」
「ええ、まぁ。商売ですから」
「そう……そうだな」
 当然ですよね。
「これでは足りぬか?」
 男性が袈裟のように肩に掛けていた布地を取り外し、差し出してくる。
「神の宮にお仕えする神官にのみ許されたものだ。高い霊力が込められている」
 お坊さんじゃなくて神官だったか。
 っていうか、この店、物々交換も有りなの?
 戸惑いながらも一応受け取って、カウンターに置いてみた。残念ながら、それは笛の値段の三分の一程度にしかならなかった。
「……無理ですね」
「ならばほんの一時、貸してもらうわけにはいかぬだろうか!? 必ず今日中に返す! 万が一にも約束を違えたなら、この命をもって贖おう!」
「いや、命は要りませんから」
「しかし!」
 よっぽど何か困っていることがあるらしい。男性客は必死に言い募った。
 でもねぇ。
「あいにくレンタル業はやっておりませんので」
「………………そうか」
 悄然と肩を落としている様が、大変お気の毒ではあるんだけど。こっちは雇われ店主の身だから気軽に値引きしてあげることもできないのよ。
 そもそも自分では使えない物ばっかりだから正確な商品価値もよく分からないし。
「すみません」
「いや、店主殿が謝る必要はない。無理を承知で申し上げたこちらに非がある」
 あ、よかった。分かってくれたみたい。
 これで引き下がってくれるかと、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。
「ならば今日中に金子を用立てて参る。それまでこの笛をこちらで預かっていてくださらぬだろうか?」
 今度はそうきたか。
 私はチラリと横目でクロを伺った。
(取り置きは……)
 黒く小さな頭がコクリと頷く。
(OKなのね)
「畏まりました。お取り置きいたします。ただし、あまり日数が経ってしまうとキャンセル……取り消しとさせていただきますので、ご了承くださいませ」
「ああ、よろしく頼む」
 どこかの世界で神官を務めているらしいその男性客は、固い決意の面差しで足早に去っていった。

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