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#31' 朝の音('23.7.9)

 土曜日の午後、久しぶりにのんびりしてちょっと昼寝をしたら、日曜の朝3時に目が覚めた。梅雨明け前だというのに寝苦しい夜が続いているけど、枕もとのカーテンを少し引き上げると、細く開け残した窓からさすがに今は涼しい空気が流れてくる。遠くで鳴くカッコーと朝方の頼りないヒグラシの声が重なる。新聞配達のバイクの音が聞こえる。いつもより少し早い。まだ他の家々を廻っているところかな?うちに来るのは3時45分、毎日カントの散歩のように正確だ。ああ、もうヒグラシ以外の蝉が鳴いているなあ。ジィーっという音が時々波長を変えながら通奏されている上に、鳥の鳴き声が乗ってくる。よく聞くあの声は何だろう?ヒヨドリかな?まだ車は少ない。ウグイスはずい分鳴き方が上手くなった。カラスも鳴き始めた。ガビチョウの声はいつ聞いても南国のようによく響く。スズメも目を覚ましたようだ。雨音は聞こえないから散歩が出来そうだ。
 昨日、工務店から屋根修理の見積もりが届いた。家を建ててから28年。そろそろいろんなところに綻びが出てくる。当時は60歳定年でまだ再雇用はなかったから、25年ローンを定年時に完済しようと思うとスタートは35歳。心許ない家計だったけど、どうせ建てるなら子供たちと一緒に過ごせるうちにと思い切った。敷地は裏の道路との間に栗林があって、いい緩衝帯になってくれた。冬は枯れ葉がたくさん飛んできたけれど、それを補って余りある恩恵を受けていたのに、数年前、突然栗の木が伐採されたと思ったら、暫くしてあっという間にアパートが建ってしまった。どうやら、栗の木の面倒をみていた方が亡くなられたらしい。虔十公園林のようにはいかないものだ。
 それからこれも昨日のこと、雨の間を縫ってアベリアの剪定をしていたら、近所のお母さんが小さな女の子を自転車で遊ばせながら通り過ぎた。こんにちはと挨拶したそのお母さんは、ついこの間まで自転車に乗っている子と同じくらい小っちゃくて、あの冬の日に雪兎をくれた子だ。いつの間にか世代が一回りしたのだなと思う。先日、兄から連絡がきた。最近、実家の母がよく転ぶようになってしまって、認知症の症状もみられるので施設を探そうかと思うのだがという。自分で自分のことが出来ているうちはと思っていたけれど、確かにそろそろ限界なのかもしれない。あとは本人の気持ちだなあ…。
 爽やかな朝の話のつもりが、何だかだんだん重たくなってきてしまった。ぼおっと生きていても時は流れていて、家はガタついてくるし、近所の女の子はお母さんになるし、母は歩けなくなる。今日は車の点検、よもや大きな修理とかはないと思うが…。そうか、今日から名古屋場所だ!

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