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#17’ 花不同去年('23.5.24)

 分譲地の一画にある小さな公園のフェンスの下に、今年も白いティアラのような花が開いた。ああ、今年も咲いたなあと眺める。写真を撮ろうかと思って近づいたものの、去年も撮ったような気がしてシャッターボタンから指を外す。別に毎年撮ってもいいのだが、同じような写真をアップしても見る方も新鮮味がないかと。一年前の私の投稿を覚えている方がいるとも思えないが、要は自分がワクワクしないということなんだろう。
 子供の頃から、基礎よりバリエーションが好きだった。ラジオ体操なら第1より第2、往復するなら帰りは別の道。基礎をちゃんとやらないと先細りになると分かっていながら、ついつい先を急ぐから、最初は調子が良くてもじきに行き詰まる。一事が万事で、何を突き詰めるでもなく、結果潮の引いた浅瀬をちゃぷちゃぷと歩くような人生を送ってきた。別にそのことへの後悔はなくて、多分これからもその時その時で気の向くままにふらふらと彷徨っていくのだろう。
   それはそうとして、去年も撮ったと思うこの花は、種類は同じでも去年咲いていた花とは別の花ではないかという当たり前の事実に突然思いが至る。何となれば、去年の花は間違いなく既に散っているのだからして。根は同じかもしれないが花は違う、それを去年も見たとか撮ったとかで片付けるとは何という怠慢であろう。花に申し訳ない、素直に謝ろう、すまぬ…。
 ここまで辿ってきてふと思う、あれ?これって何かになかったっけ?つらつらと考えを巡らせて、ああと独りごちる。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」なあんだ、方丈記じゃないか!図らずも千年前の長明さんとシンクロしてしまった。こんなこともあるから、やはり思ったことは書き留めておくに限る。
 そう言えば「ゆく河の流れ」で思い出した。もう20年位前に、友人と渓流釣りをした後に川べりで焚火をしていた時のこと。辺りはすっかり暗くなって、雲間に十五夜の月が見え隠れしていた。河原で拾った流木にようやく火がついて、炎が揺れるのを眺めていると、耳に響く水の音が昼間より大きく感じられた。
「なあ、すごくつまんないこと言っていい?」
「ああ、何?」
「あのさ、川って夜もずっと流れてんのな…」
「何だそれ?w」

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