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逆説

 「時間がなくて手紙が長くなってしまった」と書いたのは誰だったっけ?と思って調べたらパスカルだった。今や大抵のことは検索すれば何とかなる、便利な世の中になったものだ。これを使えばパスカルの手紙も少しは短くなったかもしれないのに。いや、頭の中の整理に検索は役に立たないか。
 徒然草で「友とするに悪しき者」として7つ挙げられている中の3番目は「病なく身強き人」だ。一見良さそうに思える健康な人がダメだしされているのは、病人の気持ちが分からないからということだろう。確かにそういう面はあるかもしれない。何かを簡単に出来てしまう人には出来ない人の気持ちが分からない。ただ、何事も喉元過ぎればで、経験は無いよりあった方がいいけれど、今でなければ実感は薄れる。要は想像力の問題か。
 「Fair is foul, and foul is fair」と言えば マクベスに出てくる3人の魔女の台詞だけれど、「きれいは汚い、汚いはきれい」とか「いいは悪い、悪いはいい」とかいろいろ訳があるようだ。きっと物事の二面性や可逆性を表しているのだろうけれど、シェイクスピアの戯曲によく愚者が出てきて大事な役割を担っていることを考えると「賢いは愚か、愚かは賢い」とでも訳したくなる。私の中では、この愚者のイメージが宮沢賢治のデクノボーに繋がり、更にはビートルズの The fool on the hill に至っている。(サウイフモノニ ワタシハナリタイ…)
 例えば孤独を歌って共感を得ていたアーティストが幸せな結婚をして人気に陰りが見えたとして、一体誰を責められるだろう?(「行くんも とどまるも それぞれの道なんヨ」と歌ったのは拓郎だったな。)これも昔、「赤頭巾ちゃん気をつけて」には確か「何も起こらない平和な小説が書きたい」というような話があったかと思う。気持ちは分かるけど、果たしてその小説が実際に書かれたとしてどれだけ支持されたかは分からない。結局人は自らの抱える欠落を表現したり、それに共感したりしているような気がするからだ。(逆に今なら癒しとして人気が出たりして?)
 あれ、何の話だったっけ?ああ、逆説か。逆説:一見真理と反対のことを言っているようで、よく考えると一種の真理を言い表している説。そもそもタイトルからしてずれていたのかも?かつてオフコースは「夏は冬に憧れて 冬は夏に帰りたい」と歌ったけれど、多分これは真理ではあっても逆説ではなさそうだ。逆説か…、それなら最近実感している早川義夫のこのアルバムタイトルでどうだろう?
 「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」



  

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