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捨てたもんじゃない

 子供の頃、新しい国語の教科書をもらうと、最後に載っている小説を最初に読んだ。他の文章は、仕事で仕方なく書いてるんだろうと思っていた。高校の教科書で中島敦の「山月記」を読んだときは「困ったなあ」と思った。「俺、虎になっちゃうのかあ…」とか。それは決して優秀だからとか詩の才能があるからということではなく、自分の中に「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」が間違いなく存在することを認めたからだ。学生の頃、自分で歌を作って歌っていたけれど、それで一通り満足して自分のレベルも分かったお陰で、その後何とかサラリーマンをやってこれた。今でも、その判断は間違っていなかったと思っている。そのくせ、そう言いながら未だにぽつぽつとnoteを書いているのは、やはり往生際の悪さだろうか?
 今週は、若い作家の方とSNSでやりとりをしていた。文芸誌に載っていた作品について呟いた感想に返事を頂いたことがきっかけで、図らずも作品のきっかけとなった曲のことやこれまでの作品、これからの予定などいろいろと伺うことが出来てとても楽しかった。昔なら、ファンレターを書いて返事がもらえるだけでも稀なことだったけれど、こんなふうにやり取りできることにネット時代の恩恵を感じる。その方は、小説の学校に通って同人誌に作品を発表し、それが文芸誌に転載されて次の依頼が…という感じで、まるでインディーズからメジャーデビューしていくバンドを見ているようだ。勿論、みんながみんなこんな風に上手くいく訳ではないだろうけれど、評価されるべきものがちゃんと評価されるルートがあることに、世の中まんざら捨てたもんじゃないなという感慨を抱いている。前々作が掲載されている同人誌が入手できると聞いて申し込んだ、これは私の推し活か?
 note創作大賞の締め切りが近づいてきた。フォローしている方々の作品を読んでいると、狙ってるなあという気合を感じる。私も、素人の文章を読んで頂ける場をご提供頂いていることへの感謝の気持ちを込めていくつか。分子にはなれなくても分母にはなれる。それに、宝くじと同じで、応募すれば結果が出るまで勝手に「当たったらどうしよう」と楽しめる。やっぱり、とりあえずお祭りは参加しておくに限る。ええっと、こういう私みたいなの何と言ったっけな?ああそうだ、枯れ木も山の賑わい!
 

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