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梅雨の走り

 5月も終わりという一日、南の海から近づいていた台風は温帯低気圧に変わったようだ。昔は遥か東にスライスしていく台風1号を意識することも無かったけれど、最近では5月に台風が近づいてきてもさほど驚かない。慣れとはこわいものだ。前線が刺激されて今日は雨、さしずめ走り梅雨といったところだろうか。この言葉を最初に使った人に個人的に文学賞をお贈りしたい(他にも賞を贈りたい言葉は山ほどある)。そろそろ梅雨の心づもりをしなくてはという気になるし、何より軽快なのがいい。
 今の町に越してきて驚いたのは、雨でも中高生があまり傘や合羽を使わないことだ。(合羽という言葉は古臭くて、何となく使うのが恥ずかしい感じだけど、語源はポルトガル語で英語のケープも同じらしい。)帰りならいざ知らず、朝から濡れちゃってどうするんだろうと心配になるが、一方でいっそ潔い感じもする。山歩きで雨にあって合羽を着ると、濡れてもいいんだ!という事実に新鮮な喜びを覚えることがある。普段雨が苦手なのは、濡れてはいけないという思いに勝手に縛られていたんだなと気付かされる。きっと、同じようなことは他にもたくさんあるんだろう。
 梅雨と聞くと荷風の「つゆのあとさき」という作品名が思い出される。どういう話だったかは忘れてしまったが、これも言葉の響きがいい。下町の細い路地や、玄関脇に置かれた鉢植えの花が思い浮かぶ。「あとさき」という言葉から時間の幅が生まれて、梅雨が明けたあとの眩しい光までがイメージされる。さだまさしにも同名の曲があったけれど、内容的に荷風の小説との関係はなさそうだ。タイトルからインスピレーションを受けたということはあるかもしれない。
 ギボウシの緑の炎のような葉っぱの中から、神秘的な紫色の花芽がすっと伸びてきた。まるでこの雨を待っていたかのようなタイミングだ。自然は私たちの手の及ばない大きくそして精緻なリズムの中で流れている。5月は終わり、やがて梅雨が来る。手の及ばないものであるなら、いたずらにそれを嫌い避けることなく、むしろ前向きにその季節を迎え入れたい。すべては気の持ちようだ。梅雨よ、ようこそ!

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