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新宿西口5号広場あたり

 先日、ネットで中川家の「東京の不動産屋」というネタを見たら、いきなり「下北9万で!」から始まるやり取りがとても面白かった。学生時代は小田急線沿線に住んでいたから、駅ごとのいじり方に絶妙な説得力があったのだ。小田急線のターミナルは新宿だが、下北沢乗り換えで渋谷に出ることも多かった。中川家の指摘通り、下北の駅は既に地下に埋められてしまったが、その昔、改札を出た右手の角には小さな餃子の王将があって、大きなきゅうりの漬物が美味しかったんだよなあ。
 今回、この文章を書こうと思ったのは海亀湾館長さんの「二十世紀の街角で」を読んだからで、'80年代に地方、特に東日本から東京に出てきた人にはきっと身に覚えがあるのは?と思える新宿での一日が鮮やかに描かれている。下に(すみません、勝手に)リンクを貼っておきますので、お時間のあるときに是非!
 ところで、「二十世紀の…」は新宿の東口が舞台だけれど、都庁の工事が始まる以前、西口には大きな空き地?があった。確か5号広場と呼ばれていた気がするが、仮面ライダーのように1号、2号もあったのかは分からない。'80年の10月に、そこで東京・ニューヨーク姉妹都市20周年記念のコンサートが行われた。出演は渡辺貞夫に吉田拓郎、それから森山良子だったろうか。すこぶる天気のいい一日で、アパート隣室のKさんと出掛けた私は、開場待ちの列に並びながら隣のグラウンドで行われている少年野球を眺めていた。金網に赤とんぼがとまっていたっけ。暗くなって演奏が始まると、レーザー光線が京王プラザや三井の三角ビルに当たってきれいだった。あの日、拓郎は「アジアの片隅で」を随分長く演っていたような気がするけど、あるいは全く別の曲だったかもしれない。

 それから1年半後に、私はこんな歌詞を書いている。

 久しぶりに歩いた新宿西口5号広場あたり
 隣のグラウンドで相も変らぬ少年野球
 春の陽気に誘われて桜も咲き始めたことだし
 何とか当たっておくれ 一枚だけ買った宝くじ
 君の暮らしはいかが?
 君の夢はいかが?

 どうして1年半後と分かるかというと、歌詞の中に1982年3月28日日曜日という言葉が出てくるからだ。別にその日が特別な一日でもなかったという歌なのだが、何でもない一日を書き留めておいたら、後になって何がしかの意味を持つということもあるのかもしれない。これも一つの A Day in The Life ということか。私のは単なる記憶の断片だけれど、多分書いておきたかったのは、'80年代のある日、私も一人で新宿を歩いていたよということだ。

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