言われて嫌なこととその先にあるもの

誰しも生きてきた中で「あのときの忘れられない言葉」みたいなものが思い出の端々にいくつかあるのかなと思うのですが、わたしにもあって、そうとう古いんですけれど小学校2年生のときにはなしです、

30年経っても記憶にこびりついてるのでよほど衝撃だったんだと思うのですが、当時同じクラスにSちゃんというとても可愛い女の子がいました。彼女は日本人だったけど(たぶん)ハーフのような端正な顔立ちをしてて、それでなぜか一部の子から「外人ー!」ってからかられていました。それでわたしも同じように彼女のことをからかっていたのです(最悪)

当時の自分を擁護するわけじゃないんですが悪気はまったくなかったんです、ほんとに何も考えもなく周りの子がそうしてるからそうしてたように記憶してます。

そんなバカ丸出しの小2女児だったわたしは、当時うんていを最後まで渡り切る挑戦にハマっていて、休み時間になると運動場に駆け出していっては、手のひらにマメをこさえながら一人モクモクと遊んでいました。とある休み時間、そこにたまたまSちゃんもいて、(このあたりの詳細な記憶は曖昧です)いつもと同じように外人がきた〜!っとか最悪な言葉を投げかけてからかってました。(ほんと最悪)

キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴り教室に戻ろうとすると担任の先生に呼び止められました、橋本先生という女の先生でした。休み時間が終わり、ほかのみんなは教室に戻ってしまった静かな運動場のはしっこで、先生はしゃがみこんで私の目線に高さを合わせて聞きました。「どうして○○さんに外人!っていうの?」

わたしはなんでそんなことを聞かれるのかわかりませんでした。

すると先生が、Sちゃんがわたしの言葉によって悲しんでることを教えてくれました。え、そうなの?なんで?と思いました。だってSちゃんほんとうに外国人の女の子みたいな顔してるやん、そのままやんって思いました。でもSちゃんはそう言ってからかわれることに対してよく思ってないからやめようねって言われて、そうなのかと、初めて自分のやってたことがよくないことに気づきました。

さらに先生はことばを続けました。
わたしが忘れられない言葉です。

「外人ってことばでからかうことは、Sちゃんを傷つけるだけじゃなくって、外国人の人もじぶんがかわかられてるように感じるからよく思わないんじゃないかな」って説明されました。え、あ!そうなのか、そこにも影響するんだ!って、小2女児だったわたしは衝撃を受けました。

自分がなにも考えず周りに合わせて発してた言動が、相手だけでなく揶揄する(してるつもりはなかったんだけど)言葉そのものにあてはまる人たちに対しても及ぶんだなっていうことについて、知らされました。

わたしの記憶が確かなら、そのときからSちゃんを外人!ってからかうことを二度としなくなり、外人さん(当時は外人って言ってたからそのままかいてます)は外人ということで日本においてときには嫌な思いをすることがあるんだなってことを知りました。これが私の忘れられない言葉、のひとつです。

この経験で得たことは、
①何も考えずに言葉を発するのはよくないこと
②ときに見えない相手に知らずに失礼なことをしてる場合がある
③自分はなにも考えてないばかである

ということでした。

10分の短い休み時間で私に起こった大きな変化でした。
Sちゃんあのときはごめんなさい。

自分がばかだったおかげもあり(今もだけど)、こうした経験をたくさんして、こどもというのが大人のちょっとした言葉で良くも悪くも大きな影響を受けるということを痛感してきました、それは子育てにも大きく大きく影響しています。忙しい日々を送るなかでも、子供に対して諭すであったりとかの言葉かけは可能な限りサボらずするべきだなあって思います。

宿題を見せに来たときはちゃんと目を通していいことも悪いことも評価するとか、注意するときはただ注意するだけじゃなくて、なんでそれがだめなのか根本的な理由を説明するとか、です。

そういう細かなことが子供っていう未完成の生き物に徐々に肉付けされていっておとなが仕上がっていくんだろうなって思います。橋本先生という方についての記憶はたったそれだけです。顔も覚えていないしどんな先生だったかも全く記憶にないのですが、その思い出だけが鮮明に残ってます。もしこのnoteをどっかの学校の先生がふと読まれることがないと思うけどあったとしたら、そのお仕事がこのような小さな言動だけでその後長き人生に渡って影響するというかけがえのないやりがいを感じていただけたら嬉しいです。

おわり。




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