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救急車で運ばれた話

救急車の中
隊員「じゃ、洋服切らせて頂きますね」

ああ、イケメン兄貴の隊員さん。
こんな出会い方でなく飲み会という名のコンパで楽しく出会いたかったよ。。。。というヨコシマな邪念が吹き飛ばされる位、左腕に激痛が走る。

そっとスノボウェアを脱がされ、左手首からユニクロインナーがシャキシャキ切られていく。

へ?どこまで切るのだろう。

今日の下着が、年期が入りすぎてヤバイヨヤバイヨランキング上位に入っていないものであることを願った。

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日帰りで新潟県GARA に向かった。

2本目を滑り終えてもう一度リフトに向かおうとした瞬間、バランスを崩して後ろに倒れた。尻餅をつく前に左手をついた。

パキッ!


折れた、と思った。
レスキューモービルで部屋に運ばれる。友人が側で励ましてくれる。涙はこらえるが痛いよ~という声はこらえられない。
そしてこのスキー場、さらにゴンドラで下に降りなければならない。痛みを押してゴンドラにのるが左腕から下がブランというかぐにゃんとしている。

ヤバイを越えた、と思った。
ゴンドラで下に行くと既に救急車が来ていて病院に運ばれた。

(; ゚ ロ゚)

総合病院じゃない。。。
普通の接骨院?整形外科?だった。はりきゅうあんまや電気治療を待っているだろう高齢者が待合室に見える。
救急病院とは随分離れた景色。おじいちゃんおばあちゃん、順番を割り込んでごめんなさい。

レントゲンをとり診察室に入る。
目の前には、たっているのもやっと位に感じるおじいちゃん先生がいる。

不安しかない。

おじいちゃん先生「えっとね、肘、脱臼だね」

私「へ?脱臼?骨折じゃなくてですか?パキッてわりと大きな音を感じたんですけど。。。しかもメチャメチャ痛いです」

お「脱臼だよ、肩を脱臼するひとはいるけど、肘だね、結構ずれたね、はい、こっちに腕出して、痛いよ、いくよ」

私「(゜_゜)、あ、はい、あっ」

私「痛ったぁぁぁあああああ」

お「はい、入ったからね、簡易的なギブスで固めるよ。紹介状書いておくからあとは自分の家の近くの病院行ってね」

帰りに接骨院の傘立てに、至るところのスキー場の名前が書かれた松葉杖やら、補助具的なものが立て掛けられているのをみた。
この接骨院に幾人もの人が運ばれたこの痕跡が、おじいちゃん先生が相当数の骨接ぎをこなしてきた強者であることを証明していた。

友人と共にタクシーに乗りガーラに戻る。
朝一でやってしまい、友人、ほとんど滑れていない。貴重な一日なのに。
ごめん。ありがとう以外の言葉がでない。
そんな私に親のように心配そうに寄り添ってくれる。

帰り私の頭は、あまりの痛みに左腕、手先に出るかもしれない後遺症の不安に覆い尽くされた。そんな私を察した勘の良い優しい友人は、

友「うちにさ、事故で肘を怪我した身内がいる、今は全然もとに戻ってるよ、でも怪我した時どんな感じだったか、どの位で治ったか聞いてみよう、待ってて」

とおもむろに携帯を取り出して電話をかけ始めた。仕事中であったかも知れない先方は電話に出てくださり、友人と会話をした後、友人は私を勇気づける言葉をいくつも伝えてくれた。
この時どんなに気持ちが軽くなったか計り知れない。

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次の日
出勤。

基本的に通年繁忙期であった私の課は、なかなか休暇が取りづらかった。
病院とか子どもさんの用事などのため、半日や数時間単位でみんな申し訳なく休む。
自分が休めば一人分の窓口、電話対応人員が欠けてその分誰かが忙しくなるのは身をもってわかっていたから。

平日すいたスキー場で思いっきり滑りたくて一日休みをもらいましたとは言いづらかった。そんな中、次の日ギブスで固められた腕を三角巾で吊るし出勤した私。
左手が使えないというのは、差し支えなさそうで以外にちょっとした場面で人に頼む事も多い。みんな嫌な顔せずにやってくれた。
入浴、洗髪も母に相当迷惑をかけてしまった。

改めてあの時ごめんなさいとありがとうございましたと伝えたい。

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その後、キブスが外れ、120度位に屈曲し固まった腕をもとに戻すのに1年位かかり、痛みも不安なくもとの状態になるまでには2年位かかった。
それでもリハビリの先生からは、
「普通の肘は肩と違って外れないんだけどね。骨が丈夫で折れなかったこと、外れた骨が皮膚をつき破らなかったこと、神経が大きな損傷に至らなかったこと、左手が元に戻ったのはラッキーが重なったね」
と言われた。

それにしても魔が差すとはこういうことなのかもしれない。斜面を転がり落ちての怪我ではなく、滑り終えた瞬間の尻餅からの怪我。
実力的には転ばないで滑れるようになってきて調子にのっていた頃だった。

油断大敵
調子にのるな

手痛い教訓であった。

後日、ギブスが外れて嬉しすぎて、やったー!!という最大級の悦びとギブスカッターというものが、いかに凄かったかをブログに書いたら、知らない人からギブスを集めているのでくださいというメッセージがきた。。。。ギブスコレクター?薄気味悪い。

やっぱり調子にのってはいけない。

こちらはその逆
救急車を呼んだ話|青りんご|note(ノート)