caramel.挿入話1.
夕涼み屋台人波夏祭り
野守や見ずや君の袖振る
返歌
紅の紐結う君を憎くあらば
人の目故に我恋ひめやも
夏祭りの夜だった。夕立が降り、日も沈み、やや穏やかな夕涼みの頃、ここのつ、とおつやそこらの子供が、ぼろ家の呼び鈴を鳴らした。
「おる〜?」
声変わり前の高い声がそこらに響き、パタパタと裸足の足音が近づいた。
建て付けの悪い扉が開いて、髪の長く線の細い子供が会釈する。
呼び鈴を鳴らした坊主頭の少年は浴衣の裾を摘んでみせた。
「祭り行かんで?」
「行かない」
ぼろ家の少年は断って、代わりに、とでも言うように手をこまねいた。
「君がうちにおいでよ」
眠たげな瞳で静かに言う。長い栗毛に儚げな風貌は母親には似ず、しかし母譲りの細い腕に見合わぬ骨張った大きな手がいかにも少年らしい。そんな風貌の子供だった。
「夏祭り、屋台やりよんよ」
青い坊主頭がそう言うと、栗毛の少年は目を開いた。
「……焼きそばある?」
「もちろん」
「わたあめも?」
「おー、りんごあめもあるぜ」
ニヒルめいて言うぼうずの言葉に、栗毛はこどもらしく目をびいだまのようにきらきらさせ、言った。
「ぼくも行く、待ってて」
裸足で台所へ駆け、千円札を握りしめて戻ってきた。ぼうずは玄関に上がった。
「髪いろうけん、そこん座りや」
坊主は赤い紐を懐から出して言った。
「ん」
「おまえん髪、きれいやねぇ」
坊主頭が長髪を結う様は、御髪下ろしのようにも見えた。
「ほい、できた」
長い栗毛を高く器用に括ったその様は、細身の少年によく似合っていた。
「ありがと」
小学校の制服を着、高く括った柔らかな髪の毛。栗毛の馬を彷彿とさせる出立で彼は立ち上がった。
「ほじゃ行こ、りんごあめが待ってるぜ」
「うん」
少年はふたり、手を繋いで川の方へと向かっていった。夕焼けが徐々に紫がかり、半月が空を照らしているのが、なんとも美しい様子だった。
どぉん、どぉんと太鼓が鳴って、少年たちは顔を見合わせた。
「おまえ、初めてじゃろ、ここ」
「ああ、うん。凄くうるさいね」
「ほーゆーときはニギヤカっていうんよ」
「凄く賑やかでうるさい」
表情の読めない暗がりの中、人の騒ぎ声が大きくなっていく。
「のお、そういや、おまえんち母さんはおらんで」
「今日は帰らないって言ってた」
「母さんなにしよん」
「知らないよ、大人の仕事だってさ。君のお母さんは?」
「うちは今日舞台で披露するとよ」
「ふうん、楽しみだね」
ぼちぼちとふたりで歩いていると、どうやら彼らの級友も来ているらしく、ぼうずは挨拶でもしようか、と、そちらに歩もうとする。それを栗毛が嫌だというので、ふたりはまた同じ方に歩き出した。
屋台の灯火が風に揺れていた。
「ええかざがしよるの」
「お腹すいたね」
「さきからおまえ、ハラん虫が鳴きよる」
「仕方ないよ昼間食べてないんだもん」
栗毛がそういうと、ぼうずは言いかけた言葉を飲み込んで、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「やきそば食おうぜ」
「いいね」
二人は焼きそば屋の列に並んで黙りこくった。
焼きそば、りんごあめ、ミックスジュースを買ったふたりは、河原公園のベンチが空いてるのを見繕って遅い夕食を食い始めた。
「……うま」
「おー、うまかろ」
儚げで華奢なその体躯に見合わず大盛りの焼きそばを夢中で食べる少年を笑顔で見守りつつ、ぼうずは焼きそばを箸でつついた。
「おかわりいらんで」
「いる」
ぼうずはりんごあめを齧り始め、口いっぱいに焼きそばを頬張った横顔を見つめて微笑んだ。
「うまそうに食うね」
栗毛は目をまん丸にして照れつつ最後の一口を飲み込んだ。
ゆるゆると柔らかくしけた風が首筋を舐め、夏の夜を呼んでくる。
ぼうずはわたあめを、栗毛はりんごあめを舐めつつ、片手を繋いで歩いた。
「そろそろかあさんがピアノ弾きよるけん、行こ」
「人多いね」
「ほじゃろか」
「……やだ、行きたくない」
怯えたようなその顔を見、宥めるようにぼうずは言った。
「おれがついとる」
堅く握る骨張った手を握り返し、舞台の音がよく聞こえる場所へ、人の海を縫って進んだ。
騒々しいその中心で、高校生のバンドやお笑い、年寄りの演歌など、順繰り順繰り進んでいった。栗毛を見ると、魂を吸い取られたような横顔でじっと舞台を見ていた。
「〇〇」
ぼうずが名を呼ぶと、栗毛はそのまま顔を前に向けて口を開いた。
「楽しいね」
きっと今、かれの魂は舞台の上にあるのだ、と、ぼうずは思い、再度汗ばんだ手を握った。
「こん次の次が母さんの出番じゃ」
ふわふわとした栗毛が汗ばんで、額に張り付いていた。
* * *
「……またぞろなつかしいゆめを」
オレはいつもここで夢から覚めてしまう。
かすかにピアノの音が聞こえる。どうやら防音室で母がピアノを弾いているようだった。
「まだ6時だぞ」
オレの部屋からはたとえ防音がなされていたとしてもピアノが聞こえるのだ。俺はなかば迷惑だとさえ感じながら、地下へ降りた。
「……かあさん」
黒髪の青年は呼びかける。
そこにいたのは豊かな柔らかな栗毛を携えた青年だった。
ひどく熱中して弾いているようで、ドアを開けたというのに俺の方を見ない。いつから弾いているのか、あたりには楽譜が散らばっていた。
「ウミ」
彼の名前を呼んで、隣に座った。
ぎし、とピアノの椅子が鳴る。オレより幾分か長い脚に合わせた高さだ。
彼はあのときの横顔で、楽譜をじっと見ている。
「おかえり」
そういえば昨晩はいなかったな、と思い、声をかけた。
「ただいま」
りんごのように頬を赤らめた彼は、夢の続きのようだった。
* * *
ときしげく通いあいする海風や
いといとしげに陸風の吹く
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