caramel.4.散々で、幸福。

 夢から覚めた。
 優しい夢だった。
 内容は忘れてしまった。

「……朝だ……?」
 俺はベッドの中で呆気に取られていた。
 体が軽い。頭がスッキリしている。
 目覚まし時計の鳴る1時間前に目が覚めた。

 二日連続の快眠だった。
 しかし。

「俺は、昨日、何か大切なことを、大切な誰かに、伝えた気がする。それが何か、思い出せない」

 たしか雨音に。……何言ったっけ。
「……そうだLINEが」

 LINEを開くと、雨音からは月が綺麗だという旨の話がふっかけられていて、俺は通話しよう、と持ちかけている。
 俺は全てを思い出した。
「雨音が俺の気持ちを受け入れた」
 両思いだった。そうだ、思い出した。

 18年生きてきて、十数人と付き合って。酸いも甘いも知っているつもりだったが。
「……雨音」
 胸の奥で赤と青とのコードがぐちゃぐちゃに絡まるような、そんな愛おしさを感じた。
 導火線に、火が付いていた。

「宇海〜お前起きてっか〜?」
 リクが俺の部屋のドアを叩く。
「おー、起きてるぜー。鍵開いてるから入れよ」
 面倒見の良い同い年の兄は、部屋に入るなり驚いた顔をした。
「お、顔色いいじゃん。よく寝れたか」

 今度は俺の番だった。俺はリクの吸い込まれそうな黒い瞳を見つめ、
「何でわかるんだよ。相変わらず怖え」
と言ってやった。
 正直なところ、怖いというよりありがたい。昔、寝られない夜は、リクと一緒のベッドで寝ていたような。
「そういえばさぁ」
 リクが俺の顔を覗き込んで言う。嫌な顔をしてやがる。
 俺は警戒して言った。
「なに」
 すげえ嫌な予感がした。
「女でもできたかよヤリチン」
 はあ、やっぱりまたそれか。予感的中。めんどくさ。
「その通りだけど何か」
「マジかよ」
「リクも大概だろ、昨日どこ行ってたんだよ」
「ホテル」

 やっぱこいつだ。

「俺一限あるから。1発抜くから出てけ」
「はぁ〜? 見せろよ友達のよしみだろ〜?」
「変態、地獄いけ」

 俺はリクを部屋から追い出した。

「見せるわけないだろ馬鹿」
 俺は特にすることがないので、楽譜を開いた。
 リクの馬鹿。ばかばかばか。

「……したくなってきた」
 そういえば、最近してなかったな。
 俺はパンツを脱いだ。

* * *

「ウミのやつ、なんか変わったな」
 部屋から追い出されたオレは、ヤツの変化に関して考察し始めた。
 これまでは女を部屋に連れ込んではヤッて、を繰り返してた男が妙にしおらしいというか、妙に……

 ああ、そうか。初々しいんだわ。
 でも何故だ?

 思い返せばあいつ、昨日もひとりでぐっすり寝てたな。読んだこともなさそうな古本を枕にして。幸せそうな顔してたから遅刻しそうなのも放っておいてやった。
 あいつがうちにいる間は、男のうなされる声か女の嬌声が聞こえない日はなかったが、それが変わった。
 まあいいか、ウミが幸せで健康なら。

「せいぜい幸せにやれよな」

 オレはリュックとギターを担いで家を出た。

* * *

「……いっぱい出た……」
 俺は頭を抱えたい気持ちで、ティッシュを数枚まとめて投げ捨てた。
 雨音のことを思ってヤるのは罪悪感を感じた。両手で包むのを雨音のそれだと思うとめちゃくちゃ興奮して、胸と頭の奥がちりちりと熱くなって。これまでは想像もつかなかった感覚。
 罪悪感はスパイス、この言葉を身をもって実感した。とりあえず今の顔で雨音に会うのは嫌だ。
 シャワー浴びるか。
 時計を見ると、一限まであと45分だった。間に合うか? いや、間に合わせるんだ。
「うおおおおおおお!」
 俺はパンツ一丁のまま馬鹿みたいに走って脱衣所のドアを開け、パンツを脱ぎ捨て即刻シャワーを浴びた。
「つめてえええええ!」
 五月の水道水は頭を冷やすのに十分な冷たさだった。

 ようやく温まったシャワーで泡を流して脱衣所へ出る。
「あああああ服持ってくるの忘れたしそもそも何着るか考えてなかった!」
 俺はまたもやパンツ一丁で部屋へ向かい、絶望した。
「……米菓しかない……」
 ヤクルトで酔っ払ったとか言ってリクが買ってきた謎字Tシャツシリーズしか、乾いた服がなかった。10枚ほどあるそれの中で1番まともなのが『米菓』と書かれたシャツ。それ以外はどうも下ネタなので論外。
 ちなみに昨日の洗濯当番はリクだ。
「っ、ざけんなよ……」

 今日はなんか、散々だな。俺はまた頭を抱えた。

 結局俺は米菓シャツとカーゴパンツで家を出た。
 髪を乾かす暇はなく、アフロみたいな頭になった。こんな格好で女の子と会いたくないな、特に雨音に見られたら死ねる。
 俺は精一杯気配を消しつつ、校門をくぐった。

 雨音と目があった。

「……ども!」
とりあえず笑顔で挨拶しておいた。
「お、おはよう……?」
 雨音は反応に困っている風で、あたりを見回した。そんなところに会話のヒントは落ちてない。

「その服、可愛いですね」
 満面の笑みで、まさかの発言。
「か、かわ……? ダサくない?」
「可愛いです、てか私そのシリーズよく着てます!」
 な、なんだと……マジか、マジで言っているのか天野雨音。天使。この人が嘘をつくとは思えず、俺は焦ってこう言った。
「そっか〜、俺これからずっとこれ着るわ!」
「いや、それ外に着ていけるのは中学生までですけど」
 思考停止。恥ずかしすぎて逆に血の気が引く。……俺どうしたらいいの。ねぇ。
「まあでも、似合ってますよ。イケメンは何着ても似合いますね」
「マジで……? ダサくない?」
「正直、くそダサい」

 やっぱりダサいんじゃないですか!

「……個性的でいいんじゃないですか?可愛いし」
「も、もういいよ……ありがと……」
「もうすぐ授業ですし、今日一日頑張りましょ!」

 ……可愛いなぁ。でも俺のことダサいって言ったのこの子なんだよな……。
「うん。俺も授業行くわ」

 ばいばい。
 ここまできて今更気づいた。俺今王子様じゃない。『俺』じゃん。

「ウワーーーー!」
 道ゆく大学生たちが『なんだこいつ』とでも言いたげな目で俺を見る。本当に、ごめんなさい。

 一限は英語。二限はフランス語。三限は宗教学。四限は楽典。五限はピアノの個人レッスン。
 今日はどうも忙しいので、昼は雨音に会わずにいようか。そう思っていたが昼食後にまた会った。今日のお昼何食べたかとか、授業は何か、とかひとしきり2人で話した後、Tシャツダサいですね、とはにかんで言うのを、やめてよ、と軽く笑顔で流した。マジでやめて。

 ところで。ことは五限に起こった。

「宮野さん、あなたどうして楽譜を忘れたの?」
 しまった。朝ピアノ譜をベッドの上に置いてきたままだった。
「あの……その、ごめんなさい」
 ああ、やらなきゃよかった。いや、そもそも、普段しないことをしたのが悪いんだ。
「……まあ、初見で弾けるならいいのよ。弾けるでしょあなたなら」
「ええ、まあ……」
「次は持ってきて。わかった?」
「はい」

 初めて見るピアノ譜を、ブラインドタッチで弾いていく。こんなの太鼓の達人とそう変わらない作業だから、まあ鬼級に難しくない限りは何とかなるものだ。

「うん、よく弾けてる」

 俺は胸を撫で下ろした。

 今日一日の授業が全て終わり、俺は疲労困憊していた。家に帰ったら、レッスンで言われたこといろいろ楽譜に書かなきゃ。あとリクに一言文句いわなきゃ。まあでも今日はシッターさん来るし、明日の服は大丈夫か。

 鍵を開け、扉を開く。
「ただいま〜」
 返事がない。
「……リク、今日は居るって連絡寄越してきたけどなぁ」
 防音室を覗くと、バンド仲間の男とリクが裸で絡み合っていた。げぇ。
「……『おまえらの精液で聖域を汚すな。ホテル行け馬鹿』」
 俺はLINEを送り、キッチンへ向かった。

 むしゃくしゃする気持ちで、包丁は握りたくない。ので、冷凍のご飯を温める。キャベツをちぎってごま油と塩で揉む。卵を4つほど割って少しの牛乳と混ぜ、塩胡椒とマヨネーズで味をつける。卵液を熱したフライパンでかき混ぜる。ご飯にスクランブルエッグとキャベツをきれいに盛り付ける。ケチャップをかける。ミニトマトを置く。

「できた! ふわとろスクランブルエッグオムライス風!」
 小さな頃から得意なメニューだ。
 ちなみに、2人分しか作っていない。父は今日は夜勤だし、母も夕飯は食べて帰るそうだ。
「美味しいごはん〜♪ ひっとり〜じ〜め〜♪」
 蜘蛛の巣くぐって〜♪ のリズムで歌い、食べ始めた。美味い。さすが俺。おかわり。ついついリクの分も食べてしまったが、まあ自分で何とかしろ、ということにする。

 皿を洗っていたら、バンド仲間の服を持って半裸で出てきたリクが「俺らの分は?」と聞いてきた。ので、「ねえよ。あとおまえら防音室出禁な」と返事をした。リクは「詫びとしてこれでもやるから」と、カラオケの割引券を寄越した。出禁は取り消しだ。

 シャワーを浴び、自室に戻る。

 スマホに通知が入っていた。
『宇海くん、今日一日お疲れ様』
 荒んだ心が完璧に癒された。そういえば、明日は暇なんだよな、午後。金曜だし。
『疲れた〜。ヨシヨシして〜』
 自分ながらキショい返信したな、と送ってから気づいたが、すぐに既読がついてしまった。
『( T_T)\(^-^ )』
 絵文字が送られてきた。尊すぎる。デートの予約しちゃお。
『ねえ、実はさ、カラオケの割引券手に入れたんだ。明日カラオケ行かない?』
 ぶっちゃけ割引券なんて無くても連れて行きたいんだけど、天野、いや雨音さんは割引券がないと誘われてくれないだろうな、との考えだった。
 リクのくれたカラオケ割引券は期限が明日までだった。あいつらしい。
『えっと、何時ですか?』
 あ、好感触。ここは少し引き目でもいいか。
『天野さん……いや雨音さんの都合の良い時間に』
 さあ、いつ行きたい?
『四限終わりなのでその後は空いてます』
 やった、朝じゃない。これなら存分に楽しめる。
『やった、じゃあ明日、四限終わったら総合棟ベンチで待ち合わせしよ』
『わかりました』

 よし、初デートだ。ぼくはガッツポーズをした。

 ぼくはスマホからカラオケの予約をした。運が良かったのか、ステージのある少し広めの部屋が一晩中空いているとのことだったので、予約した。
 明日がすごく楽しみ。楽しみすぎて今日がとんでもない日だったのも忘れてしまいそう。

 俺は早めにとこについた。

 今夜も悪夢を見なかった。





















 





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