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とある大会で起きた出来事

最近、見せ牌(自分の手牌を倒して相手に見せてしまった牌)や、こぼし牌(ツモ山を崩して見えてしまった牌)に対するペナルティが無しというのが一般的になっている。誰もわざと見せているわけではないし、それを悪用する人はほとんどいないだろう。

私が育った場末雀荘は見せ牌、こぼし牌に対するペナルティがとても厳しかった。まず、見せ牌はその筋まで出アガリができなくなってしまう。例えば1sを見せてしまうと、147sが出アガリできなくなる。白を見せてしまうと白では出アガリできなくなるというものだ。こぼし牌はこぼれた山を通過するまでその牌の待ちでリーチも、出アガリもできない。例えばツモ山の1sをこぼしてしまって、14sで聴牌してしまった場合、そこを通過するまでリーチができない。こぼしてしまった1sの前に14sでテンパった場合、こぼした牌ではないツモだけ許される。というものだった。
これは当時、私の育った場末雀荘が荒くれ者の集まる場所で、ちょっとしたことですぐに喧嘩になる環境だったからだ。このルールを設定したのはその雀荘のマスターだったのだが、開業当時は何もルールがなかったのだという。しかし、そこそこのお気持ちだったため、見せ牌を悪用する輩が現れたらしい。わざとアタマの發を見せてリーチをし、發を切りづらくさせたり、5sを見せて58s待ちにしたり。字牌は持っているとわかっていると切りづらくなるし、数牌は通しやすくなる。これを利用する奴が現れた。そこで見せ牌のルールができた。見えた牌では当たれないというルールが店にできた。すると、今度は6sを見せて
『6sチェックです』
と言い、3sや9sで当たるやつが現れた。もちろんトラブルになる。しかし、店のルール内でやっているのでそれがわざとだと証明できない限りとがめることはできない。だから、筋も当たれなくしたそうだ。

私はそんな環境で育ったので、見せ牌にペナルティが無くてもロンするにはすごく抵抗がある。だからもし見せてしまった場合は自重するし、山をこぼさないようにとても注意している。だが、昨今の規定に無いというのはそういった見せ牌やこぼし牌に対する意識を薄くさせているように思える。見せてしまってもあまり悪びれる様子もない人をよく見かける。
人間だからミスはする。しかし、その見せた牌によって相手の打牌は絶対に変わってしまうものである。例えば、相手が手牌から發を見せて、違う牌を切ったとする。普通、見せてしまった牌は狙われる可能性があるのでさっさと切りたいというのが人の心理である。それを切らずに手牌にとどめるということは明らかに対子以上だということがわかる。そこで、自分がこんな手牌だったらどうだろう?

發を切るか?鳴かれて、次に6pロンなんて言われたら寒いので私は6pを切ってしまう。そして聴牌まで待って發切りリーチ。リーチと言えば發を鳴かれないかもしれないからだ。發をこぼされなければ絶対に發を切る。しかし、相手が發が対子以上の可能性がとても高いという情報のせいで打牌が変えられてしまうのだ。そんなの勝手読みだろという方もいるかもしれない。發が見えたという情報を利用したのはほかならぬ自分自身だからだ。しかしその情報さえ出なければそうはならないのである。
いろいろな考えがあると思うが、私は見せた人が一番悪いと思っている。

とはいってもそれは自分の勝手な価値観であり、みんなに押し付けるようなことはしない。コミュニティに見せ牌に対する規定がないならそれに従うまでである。
しかし、私の価値観では信じられない出来事がとある大会に参加したときに遭遇した。私は今ではイカれた特殊麻雀ばかりやっているが、学生の時は割と真面目に競技麻雀に取り組んでいた。その大会では、見せ牌による規定はなかった。メンツは私、プロ、アマ、とあるアマチュア麻雀団体の地方支部長(以降支部長と呼称する)の4人であった。

プロが親番。支部長が役牌をポンしていた。プロが親リーを打ち、私とアマはべた降り。プロと支部長の一騎打ちという状況だった。
そして山の曲がり角で支部長がツモるときに牌をこぼした。

写真のような感じで2pが零れた。2pは親が次にツモる牌。親のプロは2pをすでに切ってあるので絶対にツモ切られる牌である
『すいません。』
と言って支部長が2pを元に戻し、自身のツモである無筋をツモ切った。そして親のプロが2pをツモ切ると

『ロン』

と言って手牌を倒した。カン2pの2000点だった。

『え!アガるんですか!?』

と私はとっさに声が出てしまった。すると

『規定に無いので』

と返してきた。

嘘だろ?

牌をこぼして、それが自分のアタリ牌だった時点で麻雀というゲームは破綻している。

通常の押し引きは打つ牌の危険度と、自身のアガリ率や打点を比較して決まるものである。我々が押し引きに悩むのは、自分のアガリがあるのか無いのかが分からないからだ。しかし、この場合、

この牌さえ通ればアガリが確定している

どんな無筋だろうが押しに決まっている。国士13面待ちよりアガリ率が高い。その状況を自分から作り出しておいてアガるなんて私には信じられなかった。
時はもう戻せない。
『見えてなくても切りました。』
なんて後からいくらでもいえる。2pを零さなかった世界線を観測することは不可能だ。

いくら規定に無いとはいえ、それはやっちゃだめだろう。自分の過失でアガリが確定した押しをしていいのか?私が育った雀荘では絶対に大喧嘩だ。さらに言えば、かなり有名なアマチュア麻雀団体の地方支部長がそれをやったのだ。真摯に麻雀に向き合うんじゃないのか?信じられない。

『はい。』

とプロは2000点を払った。すげぇな。私だったら朝までゴネて絶対に払わない。今でもそのプロはとても尊敬している。

皆さんはこのアガリについてアリだと思うだろうか?私の育った環境が厳しいからそう思ったのだろうか?ぜひ意見を伺いたい。

そもそもこんなトラブルが起こるのは山が2段に積まれているのが悪いのだ。スペース的な問題でそうなっているのだろうが、技術も進歩していることだし、山は2段ではなくて1段でいいのではないだろうか

写真のようにすればこんな問題なんて起こらないし、技術的にも2段に積むより簡単にできそうなのだが。雀卓メーカーの方がもしこの記事を読んでいたなら開発オナシャス!

おしまい

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