二十歳までのカウントダウン 5

赤裸々に書くって言ったから包み隠さず私のことはできるだけ喋りたいと思う。

私はいわゆる"ヲタク"である

ヲタクにも色々種類があるが、私は主に"可愛い女の子"を愛している。

可愛い女の子であれば二次元も三次元も関係ないというスタイルでやらせてもろてます。

画像1

私が深夜アニメデビューしたのは中2の時。大抵アニメからヲタク気質が開花すると思うが、アニメ自体は高1でほぼ引退した。しかし、それと同時にスマホゲームを始め(主にアイドル)、気づけば一人の女の子をもう5年も追いかけていたりする。(ちなみに今まさにその推しイベ真っ最中だったりする)

今までずっと二次元ばかり追いかけていたが、高1の秋に、ちゃんと存在している、三次元にいる女の子に出会った。初めてだった。推しであり、憧れであり、尊敬する唯一無二の人だ。どうやら私は惚れやすい人間らしく、一目惚れでどの子も好きになる。見た目から入ればだんだんと中身が好きになってくるらしい。多分面食い。その子のおかげで、私の世界は広がったし、交友関係が広がった。今じゃかけがえのない存在にもなっている友達と出会わせてくれたのはその女の子のおかげで、本当に好きになって良かったと心から思っている。現に今も楽しい。

二次元が好きだった時では考えられなかった。"推しに会える"という、概念。会いに行くということは、自分のことを認識されるし、その姿も見られるということだ。一方通行が双方通行になる。会う機会に恵まれ、私はようやく「可愛く見られたい」という感情を抱いた。

好きな子に会いに行く時、その時の自分が最高に可愛い状態で会いたいに決まってる。会えるイベントのたびに、新しい服を買ったし、慣れないヘアアレンジをしたりもした。まるでデートに行くコイスルオトメだ。

去年の秋頃、そのまた別に推しができた。推しというよりはほぼ"好きな人"に近い感情を抱いていたんじゃないかと思った時期もあった。その子に会える日はその日一日中ソワソワして、前日から楽しみでしかたなかったし、会えるはずだったのに予定が長引いて会えなくなったときなんか、一人帰り道本気で泣いたこともあった。

正直、推しという存在は生きる理由のうちの一つになっている。今年の一月、その大好きな二人のそれぞれの一旦の卒業が、同じ日に、重なった。別にその日が会えるのが最後という訳ではなかったが、彼女たちの一区切りだった。

その日を迎えた日の夜、私は生きる理由を失ったと思った。これからどうやって生きていこうと本気で思った。今までに感じたことのない虚無感だった。それぐらい、その時の私の人生を占めていた感情だった。

二次元の推しだって、一方通行ではあるけど、散々生活を振り回されている。けれど、私は自分が楽しくてやっているし正直意地もある。けど、一度好きになったら、最後までその子の行く末を見守らなくてはならないという変な義務感がある。ヲタクって複雑ね。これが応援するってことなんだと思う。

画像2

推しへの感情って"好き"という感情なんだけど、好きにも種類があるというのは皆さんご存知の通りだと思う。こんな感じに推しばかり追いかけてきた人生なので、今自分の中に"推しへの好き"以上の感情がない。見当もつかない。だから、今の私にとっての"推し"は"好きな子"でもあるのだ。この話はまた、何回か後にするとも思うけどね。

昨日、魔法少女に憧れていた話をした。最近になって心が若くなった。いわゆる幼女アニメを最近見るようになったし好きになった。高3の冬、その年のプリキュアオールスターズを一人で観にいって、一人で泣いた。幼女向け作品を大人になって見直していてわかったことがある。メッセージ性が強いのだ。何か大切なことを教えてくれる。大人になってから見ると、子供の時に忘れていたことを思い出させてくれるし、改めて考える機会にもなる。ので、大人になった人たち、今一度子供向けに作られた作品を観て、それを感じて欲しいなと思う。とりあえず最新のプリキュアオーラスターズ見てくれ。うん。

女の子であれば、可愛くなりたいと思うのはこの世の定理だと思ってるのだが、違うか?

画像3

可愛い子に釣り合うように、自分ももっと可愛くなろうと努力する。うぃんうぃんじゃない?世の中可愛い子で溢れれば、世界は平和になるんじゃないかと割と本気で思っていたりする。

私はこれから先も、推しに結婚報告だってしたいと思ってるし、出産報告だってしたい。推しの行く末を見守っていたい。だから、そう簡単には死なないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?