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ライフログで暮らしがよくなるってなんなの?

「ライフログで暮らしが良くなる」って、わたしは結構言いがちだと思うんですけど、目標を決めてそのためにやることを書き出し一直線に目標に向かうみたいなのと、ライフログとではスピード感はぜんぜん違います。ライフログはじわじわと良くなっていくもので、その変化自体もライフログを書いているから分かるみたいなところもあります。

でも、わたしも暮らしも確実に良くなっているんですよ。歳をとって丸くなったとかそういうのもあるかもしれないけれど、歳をとったからといって丸くなる人ばかりではないですよね。SNSのクソリパーは老若男女いろんな人がいるし、リアルではぶつかってくるおじさんとかも目につきます。もちろんライフログなどを書かずにふんわり丸く暮らしている人もいます。でもそうなる日をなんとなく待つのか、ライフログを記録してじわじわと実感しながら良くしていくのか、確実なのは主体的にいい方向に向かわせることかなって思います。1日の少しの時間でも自分のことを客観的に見る時間を持つって、絶対に何か発見があるし、日々の満足度もあげやすくなるはずなんですよ。その積み重ねがじわじわと暮らしを良くしているんだと思います。

あと、これは人それぞれだと思うんですけど、目標を決めてぐいぐい進むというのは気合いとか根性とか含めてちょっと無理をしないと成し遂げれないと思うんですよ。まず前提としてその目標って絶対に自分がやりたいって思ったことですか?というのがあります。本などで見て夢や目標は持った方がいいんだと捻出したものは無理をしてでも本当にやりたいことなのか?そこらへんわたしはちょっと疑問に思います。
それに、無理をしなくてはいけないということは今はちょっと無理だから暇が出来たらやろうと先延ばししたり、走り出してみたけどやっぱり難しかったと挫折したりしやすいと思うんです。

だったら、ライフログを書くわたしがぜんぜん無理をしてないか…いい例えとしてここのところ毎日noteをアップしているわけですが、これは少々無理をしています。
かつて本を出版したいと思って「本を書くならブログ100本分くらいネタがないと無理」という話を聞いたことがあって、それでブログをせっせと書いていた時代があります。そして無事、本の出版も叶いました。けれど、それだけではないのです。わたしの書いたことがキッカケで誰かの暮らしが良くなったりするとうれしいし、ブログを読んでくれたりリアクションをしてくれる方への感謝も生まれます。こういうのってなんか気持ちいいです。これらはライフログを書いていたからこそ気づき、書いたものを客観的に見て実感したものです。

だから今、少々無理をしてやっています。過去に気持ちいい経験もしているけれど大変だったことも覚えていて、今のわたしにできるかな…でもやりたいどうやったらやれるかな…そういうときも過去のわたしが教えてくれます。キッカケをくれるのはいつも「人」だと。だから「書く習慣」という本を手に取りました(正確にはKindleなんで手には取ってないんですけど)。

そんなかんじで、ちゃんと意味があると思えるところで無理をすることが出来るというか、意味があると思うから少々無理をしても続けようと思えるというか…そういう裏付けみたいなのは日々のライフログから得たもので(実際に今、自分の中で何かが活性化しているような感覚がある)、わたしが「その気になればできる」と自信があるのはこういうところから来ているんだと思います。

今日は「こういうときライフログを書いてるといいよ♪」みたいなライトな内容のものを書くつもりで書き始めたのですが、なんだか思いの外ガチの最近の気持ちみたいなのを書いてしまいました。ライトなのはまた近々(笑

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