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(小説)宇宙ステーション・救世主編(九・二)

(九・二)夢
 いつもと同じ夢の始まりの景色、夜明け前何処とも知れない町に雪が降り頻る。少女はお雪さんに怯えている、降る方でなく少女の中に潜む得体の知れない内なる声に。
 少女は中学三年。少年Aの死後も、少女は不良仲間との付き合いを続ける。勉強もし成績優秀、男子の人気者であることも変わらない。けれど少年Aの死のショックを引き摺っているのは確かであり、少女の生活態度、顔の表情に暗い影を落とす。が、家では高校進学の勉強を口実に部屋に閉じこもり、母親である女とは殆ど顔を合わせない為、女は少女の微妙な変化に気付かないでいる。
 そんな中、少女は不良仲間の少年Bと付き合い出す。なぜか。少年Aの死によって生じた漠然とした不安、自分のせいで死んだのではないか、お雪さんが殺したのではないかという疑問を確かめたくて。
 少年Bとのデートの間中、少女はお雪さんに怯えている、いつあの声が叫びを上げるかと戦々恐々。けれどただお喋りしたり手をつないだり、その程度ならお雪さんは沈黙したまま。しかしいざ口付けしようという段になると、決まってお雪さんの叫びが聴こえてくる『こいつをころして』と。
 吃驚した少女は唇を重ねる以前に、さっと少年Bから逃れる。そんなことを繰り返していると少年Bが段々と苛立って来るのは勿論、少女としてもいつまでも問題の核心に触れることが出来ない。かといって唇を重ねる勇気のない少女。
 愚図愚図している間に、一年が巡り再びクリスマスイヴが訪れる。仕方なく少女は少年Bに応じ、こわごわと口付けを強行する。が少女は直ぐに後悔、なぜなら『こいつをころして』とお雪さんの声がいつにも増して激しく叫んだから。そこへ調子に乗った少年Bが更に先へ進もうとしたから、慌てた少女は少年Bの腕から逃れ、さっさとその場を立ち去る。
 少女が向かったのは矢張り、川。川に辿り着くと、一晩震えながらじっとひとりで河原に佇んでいる。少女が震えている訳は、勿論凍り付く冬の寒さばかりではない。むしろ自分がまたしても取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないかという恐怖の為である。
 そして迎えた年明け一月初旬、冬休みが終わっても少年Bは中学に姿を現さない。まさか、生きた心地のしない少女は、ひたすら少年Bからの連絡を待ち続ける。ところが数日後、親から学校に少年Bの死亡の連絡が入り、少女の耳にもそれが伝わる。
 少年Bも死んだ。その事実は、少女を奈落の底へと突き落とす。少女はお雪さんに対する恐怖でノイローゼ気味になる。
「なあ、お雪さん、雪のせいで二人共死んだん。それとも、お雪さんが二人を殺したん」
 幾ら自らの心へと問い掛けてみても、お雪さんは沈黙したまま。
 そんな中、少女は不良仲間のひとりから少年Bの死因について知らされる。それは、桜毒。少年Bは桜毒で死んだ。そう言われてもぴんと来ない少女、
「何でそんなんで死ぬん、もしかして雪がうつしたんやろか。ほなら雪も桜毒ってこと。なあ、お雪さん、お願いやから教えて」
 しかし自らの心へと問うても、矢張りお雪さんからの返事はない。
 疑問と恐怖とが膨らみ、ノイローゼが加速する少女。少年Aと少年Bの親が教室や家に乗り込んで来るのではないか、警察が殺人罪で逮捕しに来るのでは。しかし最大の恐怖は桜毒、自らも桜毒に感染しており直ぐに死んでしまうのではないかと。少女は日に日にやつれ、顔も青ざめてゆくばかり、折角の絶世美少女が台無し、勉強も手につかない。
 そんな少女の様子を遂に見るに見かねた母親の女が、少女と話し合う。
「なんか、心配事でもあるんちゃうの」
 少女は、余計な心配は掛けまいと少年A、少年Bのことは語らず、自分が桜毒ではないかという不安だけを女に打ち明ける。
「あんた、もう誰かと関係したん」
 少女はかぶりを振る。女は少女の言葉を信じ、
「本人にとっちゃ深刻な問題やな。そない心配なら一遍検査受けてみ」
 女は知り合いの性病科の医師を紹介する。
「有難う、ママ」
 流石、最後に頼れるのはやっぱり母親やと、少女は生まれて初めて性病検査を受けにゆく。
 紹介された医師は、聡明かつやさしそうな若くて美人の女医さん。検査の結果は、
「何も異常ありませんでしたよ。桜毒の心配も一切ありません」
 落ち着いた声で告げる女医のその言葉が、どれ程少女の心を救い楽にしたか。
 この時少女は、その女医に強烈な憧れを抱く。自分もあんな素敵な女性になりたい、悩んでいる人を助けたい。少女は悩みと恐怖を振り払うように、ひたすら受験勉強に打ち込む。と同時に不良グループとの付き合いを断ち、真面目な中学生へと戻ってゆく。
 結果、見事名門の私立高校に合格。少年A、少年Bの親が乗り込んで来ることも、警察が逮捕しに来ることもなく、顔色も良くなり、絶世美少女も復活。
 卒業証書を握り締め、中学校最後の制服に身を包む少女は、桜舞う川の岸辺にひとり佇みながら心に誓う。もう二度と男とは付き合わへん、口付けもようせん。詰まり、一生独身で生きてくんや、そしてすべてを忘れてやり直そ。あの女医さんのような、人を助け世の中の役に立つ立派な仕事に就きたいと夢見る少女、十五歳の春……。
 目を覚ます雪、思えば僅か数年前のことなのに、もう遥か遠い昔の出来事のようでならない。寝ている間に掻いた汗が涙の如く、雪の頬を滑り落ちてゆく。吉原の街には蝉時雨が聴こえる。

 まだまだ残暑も蝉時雨も続く八月の終わり、稀代のペテン師とでも呼ぶべきあの教祖男の死が、ワイドショーや新聞の三面記事の片隅で質素に報じられる。死因も桜毒であるとはっきりと伝えられた為、お節も雪もこらまた大騒ぎになるでと、心配しつつ苦笑い。
 ところが一向に騒ぎは起きない、むしろ更なる沈静化へと向かい、休業を続けるエデンの東の周囲は穏やかそのもの。ワイドショーも週刊誌も沈黙し、教祖男と吉原の魔性の女雪との関係を嗅ぎ回る者は誰一人現れない、不気味な程の静寂である。
 その理由はといえば、実はマスコミに対し雪に関係する取材と報道の一切を打ち切るよう圧力が掛かったのである。圧力を掛けたのは例の闇の組織、教祖男も何を隠そう組織の一員であった。マスコミによる雪の客に対する調査が進めば、客同士のつながりからひょっとして組織の存在の発覚にまで及ぶやも知れぬと、それを危惧してのことである。彼らは世界も国家も裏で支配しているから、無論マスコミも彼らの操り人形であり、彼らに不都合な報道は一切される筈がないのである。
 こうしてエデンの東も吉原の街も以前の静けさを取り戻し、知らぬが仏、何はともあれお節と雪は安堵に胸を撫で下ろす。それはそれとして雪のせいで教祖男が死去したのは紛れもない事実。従って雪は例によって憂鬱に陥る、何が教祖やろか、救世主が桜毒で死んでどないすんねん、情けな。救世主、その言葉に咄嗟に少年を思い浮かべる雪、救世主、宇宙船、メシヤ567号……。にいさんに会いたい、今直ぐにでも。

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