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(小説)宇宙ステーション・救世主編(十一・一)

(十一・一)拉致監禁
 月が替わりお節は、エデンの東の玄関に秋桜を飾る。白とピンク、雪の好きな秋桜の色である。お節の体の具合に変化はなく、雪を訪れる客もなし。二人は毎日欠伸と退屈の日々、穏やかに時が過ぎてゆく。雪に物足りなさがあるとすれば、唯一少年に会えぬこと。でも来月になればまた会えるのだからと心慰めつつ、お節への親孝行に精を出す。ともあれ、何事もなく平和な時が過ぎゆくものと信じて疑わないお節と雪の二人。と思いきや月の中旬、突如雪の運命は激流に飲み込まれてしまう。
 その日雪は、会えぬと分かっていながら少年会いたさに夕暮れ時、ついつい弁天川へと足を運ぶのである。いつものようにミニスカにハイヒール。河原に人影はなく、物寂しき川のせせらぎと虫の音が聴こえるばかり。雪はぼんやりと川を眺める。その時川沿いの道に黒のベンツが一台停車したのだが、雪は気付かない。
 ベンツに乗っているのは、広域指定暴力団三上組の若い衆二人と中年の運転手がひとり。後部座席にでーんとふんぞり返る若い衆に比べ、運転席で控えめに坐っているドライバー。このドライバーこそ誰あろう、あのゴロ助、生まれたばかりの雪を弁天川に流した例のちんぴらである。
 勿論もう年を取って頭は白髪混じり、すっかり草臥れた中年おやじになってはいるが、生まれついてのちんぴら野郎、未だに組の下っ端としてこき使われている。そのゴロ助が何の因果か、今度は雪を、雪の生まれたあの場所へと連れ戻すことになろうとは、流石の雪もゴロ助も夢想だにしなかったであろう運命の悪戯である。
 一日の勤めを終え、今は川沿いに車を停め休憩中の三人。ハイライトを吹かす若い衆のひとりが、河原に佇む雪に気付き奇声を上げる。
「おう見てみ、あれ。えろうええ女やんけ」
 それに答えてもうひとりの若い衆、
「どれどれ、ほう、確かにエロっ。何やあのミニスカ、強烈堪らんのう」
「どうするえ」
「どうするて、いくしかないやろ、われ」
 幸い辺りに人影はない、速攻で雪を襲おうと企てる二人。
 そこへ、若い衆の監視役でもあるゴロ助が口を挟む。
「兄さんら、止めといた方がええ。堅気に手出したら、後々面倒や」
 しっかし若い衆、今更たぎり立つ欲望の炎を消すなぞ不可能なこと。
「うっせえ、手前は引っ込んでろ蛸、じゃねえゴロ」
「心配ねえ、事が済んだら適当に脅かしときゃいいんじゃ。堅気なんざ、いざとなりゃ泣き寝入りよ」
 忠告も聞く耳持たず、
「ほな行きまっか」
「よし行くべ」
 ゴロ助をベンツに残し、仲良く手に手を取って河原へと向かう若い衆二人。
「ちょっと、あんたら何すんの、止めてーーーっ。誰か、助けてーーっ」
 か弱き雪を襲うなど朝飯前のちんぴら共。
「大人しくしねえと、ぶっ殺すぞ」
「エロい女に生まれた手前を恨むんだな」
 さっさと雪の手足をつかまえ口を塞ぐと、河原の雑草の陰に押し倒す。
「いやや、止めて」
 必死の抵抗も虚しく、今やちんぴらの餌食にならんとする雪。
 とここまでは順調な若い衆、ひとりが雪を抑え、もうひとりが雪の上に覆い被さる。いざ唇を奪わんとして、雪の顔をばしげしげと見詰めるその時。ほんとええ女やあ、絶世美少女や、絶世美……。あれ、でももしかして、こいつ。興奮から冷や汗へ、欲望の波が引いてゆき、ぴたっと動きが止まるひとり。
「ん、どうした、お前。まさか男とかじゃねえだろな」
「ちげよ、それどころじゃねえ。こいつもしかして、あれ」
「何だよ、あれって」
 もうひとりも雪を見詰め、またもや冷や汗。
「おっ、まじかよ」
「だろ」
 顔を見合わせる若い衆、劣情も忽ちにして縮こまる。
「こいつ、ワイドショーのあれだべ」
「だな、やっぱし」
 声を震わせ、
「吉原の魔性の女Yだあ」
 二人絶叫ーーっ。これはラッキー、あのマスコミ共の大騒ぎがここに来て福と転じる、世の中分からへんもんやとほくそ笑み、
「そやで、桜毒の使者雪やで。ええの、あんたら」
 形勢逆転、ちんぴら共を見返す雪。
「くっそう、この尼。おい、どうする」
「まだ死にたかねえよ、俺」
 では諦めて雪を逃がし、さっさと車に引き上げるかと思えば然にあらずの二人。ひそひそと何事か相談した後、
「ほら立て」
 雪を立ち上がらせると、雪の腕を引っ張る。
「止めて、離して」
「いいから一緒に来い」
「いやや、何処連れてくん。ママ、助けてーーっ」
「何がママだ。つべこべ言わずに、付いて来りゃいいんだよ」
 ナイフを取り出し、雪の頬に突き付けるちんぴら。おっそろしくて雪は言いなり。
 そのまま雪をベンツまで連れてゆく若い衆。呆れたように運転席のゴロ助が咎める。
「何でここまで連れてくんの。車ん中じゃ駄目だよ、兄さんら」
「ちげんだよ、ゴロ。ほら、よう見てみこの女」
 言われるまま、雪をちらりと見るゴロ助。ありゃ、直ぐに雪が何者か気付く、少し前話題だった吉原の女かい。でも見りゃ、普通の女の子じゃねえか。可哀相に顔面蒼白、これから何されるんだろって小鳥のように怯えていやがる。あれっ、でも。
 じっと雪を見詰めるゴロ助の胸に、忽然と言い知れぬ感情が湧き上がる。この子、どっかで会ったことがあるような無いような……。でも気のせいだろ。その時雪も、じっとゴロ助を見詰めている。二人は互いに見詰め合う。なぜだかは分からねどそれぞれの中にほんの一瞬煌めいた、永遠の欠片とも呼ぶべき不思議な感情を確かめ合うように。どきどき、どきどきっ、何やろ、このおっさん、なんか懐かしい。でも何で、この切なさは一体何……。ゴロ助の顔を見ることで、ゴロ助がその場にいることで、急に落ち着きを取り戻す雪。いつしか日は暮れて、弁天川の川の面には無数の銀河の煌めきが映っている。
「おい、ゴロ。何じっと見惚れてんだよ、この蛸」
「あんまりべっぴんさんなもんで、興奮しちまったか」
 ガハハハハッとかケケケケケッと、品のない若い衆の笑い声が零れる。
「何愚図愚図してんだ、おめえも乗るんだよ」
 無理矢理ベンツに押し込まれ、ちんぴらに挟まれながら後部座席に坐る雪。常にナイフが光り、最早騒ぐことも逃げることも出来ない。それに、恐怖にも増してゴロ助のことが気になって仕方がない雪でもある。
「さ出発だよ、ゴロちゃん」
 催促する若い衆にゴロ助、
「出発。何処行くってんだよ、こんな子連れて」
 白々しく聞き返す。
「ばーか、決まってんだろ。あそこだよ、あそこ」
 にやにや薄笑いで答えるちんぴらの言葉に、戦慄を覚えるゴロ助。あそこ……。
 やべえ、あんなとこ連れてかれたら、この子、ぼろぼろにされちまう。何とか食い止めねえと。
「いいのかい、勝手にあんなとこ連れてって」
 唇の震えを抑え難いゴロ助。
「ああ心配すんな、組長には連絡しといたから。今頃組長から連中に報告が行ってる筈だ。何たって今奴等の一番手に入れたいブツだかんな、この尼」
 何だと、ブツじゃねえだろ、人間だろが、歯軋りのゴロ助。
「ゴーロちゃん、そんな恐い顔しないで。俺たち、すんげーお手柄なんだぞ」
「でも奴等、何でこんな女ひとりに手こずってたんだ今迄。なあ、ゴロ」
「知らねえよ、そんなこた」
 苛々しながら、ハンドルを握るゴロ助。
 雪を乗せたベンツは走り出し、人影のない道を弁天川の上流へ上流へと向かってゆく。雪は直ぐに目隠しされる。
「何でそんなもんするか、分かるか」
 ちんぴらのひとりが雪に問う。雪に分かりよう筈もない、無言の雪にせせら笑いながらもう一方のちんぴらが代わりに答える。
「いいか、これから行く場所はな、日本のトップシークレットな訳、分かる。だからおめえに見せる訳にゃいかねえの、ガハハハハッ」
「そう、そこは別名、お化け屋敷と呼ばれている。そりゃこええ、こええとこなんだよ、ケケケケケッ」
 これでバックミラーに映るゴロ助の顔も見えず、雪の前にあるのはただまっ暗な闇だけ。今走っている場所も目的地も、何も分からないまま走り続けるベンツ。頼りとなる聴覚に入ってくるのは、車の音と、ちんぴら二人のしょーもない会話ばかり。ゴロ助はずっと黙っているのか、一向にその声は聴こえない。後は幽かに聴こえる弁天川のせせらぎの音。ということは、まだ弁天川沿いを走っているらしい。
 これから一体何処、連れて行かれんやろ。連れてかれて、何されるんやろか。しもたな、にいさんが今月は会えん言うてたんやから、宇宙駅で大人しゅう待ってたら良かったんや。と悔やんでも後の祭り、もう後戻り出来ない道を、何処までも車は走り続ける。トップシークレット、お化け屋敷、連中、奴等、お手柄、ちんぴら共の言った言葉を切れ切れに思い出す雪。組長から報告が行ってる連中、雪のことを今一番手に入れたい奴等って、誰やろ。何でそいつら、雪を手に入れたがっているんやろ。
 恐怖、不安は勿論のこと、けれど雪はエデンの東にひとりでいるお節のことが心配でならない。今頃ママ心配してるやろ、どないしょ。せめてママに連絡を入れたい。一言だけ、心配せんといて、と。けれどそんな要求を、ちんぴら共が許そう筈もなかろう。ここはじっと我慢、逃げ出すチャンスを窺って、待つしかあらへんと腹を括る雪。
 それに何と言っても、こっちは吉原の魔性の女なんやさかい、そんなに無茶もせんのちゃうやろか、と希望的観測も浮かぶ。それから、雪にとって今唯一の希望であるゴロ助がいる。この男、他の二人とは違い、とても極悪非道の人間とは思えない。むしろ味方となって、もしかしたら雪を助けてさえくれるかも知れへん。そんな藁をもつかむ淡い期待を抱く雪である。
 やがて弁天川のせせらぎの音が途絶え、あーあ、とうとうあの川からも遠ざかってしまうんかと思ったのも束の間、車は直ぐに停車する。エンジンが切られると、しーんとした静寂だけが雪の耳を覆う。果たして目的の地に着いたんか。不安いっぱいの雪に、
「ほら、着いたぞ」
 車のドアが開き、ちんぴらに引っ張られながら車を降りる雪は、まだ目隠しされたまま。
 地面には草、ハイヒールの踵を通して湿ったような柔らかい土の感触がある。ミニスカから出した足、膝へと秋の夜風がひんやりと吹き過ぎて鳥肌が立ち、ふう寒う、と震える雪。しもた、コート着てくれば良かったわあと、悔やんでも矢張り後の祭り。ちんぴら二人に両腕をつかまれ、指示されるまま歩くしかない。草の地面を数歩進んだかと思うと、直ぐに止まれの指示。

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