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【新作落語】こんぴら狗

江戸は両国、小さな古着屋の裏庭。主の治助が犬とじゃれている。それを見つめる治助のおかみさん。

治助 「おお、よしよし。ほうら、ははは」
おかみ 「ちょっとあんた、古着の仕入れに行ったと思ったらまだ犬と遊んで。いつまで家にいるんだい」
治助 「そりゃ、こいつが飽きるまでよ」
おかみ 「飽きるってあんた、商いより犬が大事かい。あたしはね、もうほんと頭にくるよ。ちょっとそこにお座り」
治助 「お座りだってよ。ほれ、お座り!」
おかみ 「犬じゃないよあんただよ。」
治助 「なんだい怖い顔して。九郎、待ってろ」
おかみ 「この犬をあんたが拾ってきてからね、うちはろくなことがありゃしない。先日も注文の半纏を持っていく時にだよ、大通りで大八車にガツンとやられて足は挫くわ半纏はどろどろだわ散々だよ」
治助 「そりゃお前がそそっかしいからじゃねえか。だいたい犬、犬ってなんだよ。九郎てぇ名前をつけてんだからさ」
おかみ 「何が九郎だよ。この犬が来てからあたしは苦労のしっ放しだよ。縁起の悪い」
治助 「縁起が悪いことあるもんかい。九郎はな、両国橋の上で腹を空かしてる子犬の時に、俺が気まぐれでひょいと投げたするめの切れっ端を、ひらりと欄干に駆け上って鮮やかにパクリと食いやがった。賢いねえ。身軽だねぇ。まるで牛若丸だよ。だから俺ぁ九郎判官義経の九郎と名付けて、うちで飼うことに決めたんだからな」
おかみ 「何度も聞いたよ何が牛若丸だよ。もそもそ飯ばかり沢山食うから一年でこんなに大きくなっちゃってさ。近頃は身軽なところなんて見たことがないよ。そのくせバカに力だけ強くて、散歩に連れてっても気に入らないと動きゃしない」
治助 「それは賢いからだよ。賢い犬なんだ九郎は。よおく物事を考えてるんだよ」
おかみ 「とにかくね、あたしゃもうこの犬をうちで飼うのは御免ですから。なんとかしてらっしゃいな」
治助 「九郎を捨ててこいってのか?そりゃできねえよ俺ぁこいつが可愛いんだ。こいつを捨てるくらいなら俺を捨てろ。いやいやそれも困る。そう邪険にするなよ。こんだけ賢い犬だからいつか福を呼ぶかもしれねえじゃねえか。なあ」
おかみ 「だったらね、こうしたらいい。讃岐のこんぴらさんに代参してもらうんだよこの犬に。それでありがたい御札をもらって帰ったら、あたしも認めようじゃないの」
治助 「代参ってあれか、九郎をこんぴら狗にするってのか。そりゃあおめえ、だめだよ。旅人から旅人へ連れられて、人の好意でお参りしてくるのがこんぴら狗だろ?」
おかみ 「そうだよ」
治助 「そりゃあ良い人ばかりなら世話はねえが、世の中には悪人もぞろぞろいるじゃねえか。首から下げた初穂料をふんだくって、犬っころなんか死んじまえって水に蹴り落とす輩がいるかもしれねえ」
おかみ 「そこはあんた、賢い犬なんだろ?だったら善人悪人も見極めて、立派に務めを果たして帰るさ。ええ、そうだろう?」
治助 「ううん…しかし讃岐はなにしろ遠いじゃねえか。俺ぁ九郎が心配だ」
おかみ 「あのね、昨日来た薬の行商人にね、あたしゃ犬のことを愚痴ったんだよ。そしたらおかみさん、こんぴら参りをさせたらどうですかいと言われてね。なぁに、上方まではあっしが連れていきますんで心配ねえですよ、大坂に着いてこんぴら参りの船客に預けたらもう心配ねえでしょう、木札にしっかり“両国の古着屋・木谷屋治助方”って書いとけば、また旅人から旅人へ預けられて無事に帰ってこれますよってね」
治助 「そんなにうまくいくもんかね?」
おかみ 「とにかくね、あたしゃこの犬が疫病神じゃなくて、御札を貰って帰った立派な犬だってことにならなきゃ、認めないよ」
治助 「ううん、わかった。上方まで連れてってくれるんなら大丈夫だろう。なら、初穂料と、食い物の代金と、あとなんだかんだで二両くらいは持たせてやらねえとな」
おかみ 「何を言ってるんだい。犬に二両も持たせてどうするのさ。お賽銭の金だけで十分だろう。あんたが手持ちからお出しなさいよ」
治助 「店も含めて金はおめえが仕切ってるから俺ぁ小遣い銭くらいしか持ってねえぞ」
おかみ 「薬の行商人は明日顔見せて江戸を出立するらしいからね。明日までにいらない物でも売って、自分で工面するんだよ」
治助 「ええっ!明日にはもう江戸を発つってのかい。畜生、九郎よ、しっかり良い人を見定めてな、代参を済ませてな、きっと戻ってこいよ。おお、いけねえ、金を工面しないとな…ああ、あちこち駆けずり回って、たったの一分しか集まらねえ。なんてこった。でも時間がねえや。すまねえ、九郎、どうにかこれでやり繰りしておくれ。えっと、木札に所と名前を書いとかないとな。どこの犬だかわからずに帰って来れなくなっちゃお終いだ。…うう、畜生、涙で字が滲んじまうじゃねえか。きっとだぞ、きっと帰ってくるんだぞ九郎よ」

あっという間に翌日の朝。薬の行商人、亀六が店に顔を出している。

治助 「それじゃあ、どうか、よろしく」
亀六 「心配いらねえですよ旦那。賢い犬だってんであっしが道を教えてもらうかも知れねえや。そんじゃ、行って参ります」
おかみ 「よろしくね。ほら、あんたしっかりしなよ。昨日の晩から泣きっぱなしじゃないのさ。ゲンが悪いったらありゃしない」
治助 「枕が浮くとはこのことだ。九郎―っ。達者でなーっ。きっと帰って来いよー」
亀六 「…さあさあ、こんぴら狗と珍道中ってのも乙なもんだ。おいおいそう急くなはぐれちまうぞ。なあ、賢い犬だってもんできちんと街道に沿って歩きやがる。海が綺麗だねぇ。もう神奈川の宿だよ。どうだい両国が恋しいかい?俺もおめえさんもまだまだ道中長いからな、今夜はここに泊まるんだよ。ええ、そうそうこいつがこんぴら狗でさあ。立派でしょう。大したもんでしょう。ああ、どっか行っちまわないようにね、土間のところへ繋いどいてくれ。ああ疲れた。今日は少しなら飲んでも構わねえよな。あのね、お銚子を一本つけとくれ。あぁ、美味えなぁ。ありがたい犬を連れてありがたい酒を飲む。最高じゃねえか。俺もできれば讃岐まで行ってこんぴらさんを拝みたいところだよ。“金毘羅船々追風に帆かけてしゅらしゅしゅしゅ~”とくらぁ。あ?うるさい?他の客に迷惑だ?なに言ってやがんだこんちくしょう。それより俺ぁお銚子を十本って言ったんだぞ。まだ一本しか来てねえじゃねえか。早く持ってこい!あぁ美味え。なんだって俺ぁこんなにいいものを止めさせられてたんだろうねぇ。おう、綺麗どころも呼んどくれ!やっぱり三味線が入らねえといけねえや。“金毘羅船々~”楽しいねぇ。あぁ?何?金はあるのかって?馬鹿にすんじゃねえぞ。そりゃあ俺の手持ちは少ないけどな、こうしてありがたいこんぴら狗様の首から下げた袋にはな、最低でも二両くらいは入ってるもんなんだよ。よしよし、ちっとだけね、お借りしますよ。…なんだこりゃあ。たったの一分しか入ってねえじゃねえか。あいたた、なんだよ叩き出すこたぁねえじゃねえか。ちくしょう、お前の飼い主はとことんケチな野郎だな。一分でこんぴら代参なんざ図々しいにも程があるぜ。もうお前なんか知らねえ、ひとりで、いや一匹で、こんぴらさんでも恐山でもどこへでも行っちまえ。古着屋の旦那が待ちぼうけて河内蓮根の穴みてえな口になっても俺ぁ知らねえぞ!」

治助 (蓮根の穴ような口で呆けている)
おかみ 「あんた、ほら、あんたってば」
治助 「…ああ」
おかみ 「毎日毎日ぽかーんと口を開けてさ、そうやってぼーっと庭を眺めててもさ、埒が明かないじゃないか」
治助 「…ああ」
おかみ 「まったく、犬がいなくなったらちっとは商売に精を出すかと思ったらすっかり腑抜けみたいになっちまって」
治助 「九郎はどうしてるかなぁ」
おかみ 「そりゃあ、あたしも酷なことしたかもしれませんけどね、もう一年も経つんだから、犬のことは忘れて、ね、あたしは店番をしてるから、帯をたくさん仕入れて来てちょうだい。いいね?」
治助 「ああ…。こんぴら狗になんか出すんじゃなかった…。そりゃあ女房は鬼畜生かと呪いもしたが、一番いけねえのは袋に一分しか入れてやれなかった俺なんだよ。あん時、畳に額を擦り付けても方方に頼み込んで、せめて二両は入れてやってれば、九郎は無事に帰ってきてたんじゃねえかと思うんだ…。いくら賢い犬でも、一分の金で金毘羅代参なんてのはいかにも図々しすぎる罰が当たった…罰が当たった…」
おかみ 「あんた。あんたってば」
治助 「…なんだよ」
おかみ 「なんかね、身なりの良い旅姿の隠居さんが来てね、“木谷屋治助殿はこちらへいらっしゃいますか”って言うんだよ」
治助 「なんだいそりゃあ。馴染みの客じゃねえだろう」
おかみ 「そうなんだよ。ちょっとあんた出ておくれよ」
治助 「へい。あっしがここの主の木谷屋治助でございますが。どのようなお召し物が入用でございますかね?」
徳兵衛 「あなたが御主人でございますか。私は神奈川宿の近くの洲崎屋という油問屋の隠居で徳兵衛と申します」
治助 「それはそれは。そんな遠くから古着をお探しに?」
徳兵衛 「いやいや、実は半年ほど前ですかな、手前の孫が、滝の川の橋の上で大きな犬を一匹拾いまして」
治助 「犬!」
徳兵衛 「それがなにやらぼろぼろになった袋を首から下げておりまして、中には木札が入っており、墨で何やら書いてある。これは噂に聞くこんぴら狗ではないかと思いまして」
治助 「そ、それで!?」
徳兵衛 「私共も書かれている文字を読んでみようとしたのですが、雨に濡れて滲んでしまったのか判然としない。そこで読み解くのに時がかかってしまいましたが、店の者総出で考えた結果、「国」の字の上の消えかかった一文字は「両」の字で、この犬は両国の古着屋某谷の某助様の飼い犬であろうと。ならば両国には木谷屋という古着屋がたしかにあったと記憶している奉公人がおりまして、今日こうして足を運んでみた次第でございます。どうですかな、こんぴら狗を代参に出されましたかな?」
治助 「は、はい!たしかに出しました!い、一年前に出しました!こんぴら狗!」
徳兵衛 「それは良かった。これ、幸吉や。いい加減に出てきなさい」
幸吉 「……(犬を抱えて出てくる)」
治助 「九郎!九郎!おお九郎!お前よく戻ってきたなぁ!」
徳兵衛 「こちらでは九郎と名付けておられたのですな」
治助 「ええ、そうです。頭のいい、犬です」
徳兵衛 「実はこの幸吉が拾ってきたのですが、滝の川の橋の上で、餌をくれねば通さぬぞという勢いで仁王立ちに立ちふさがっておったそうで、こちらでは“武蔵坊”と名付けて呼んでおりました」
治助 「そうかい、ありがとうなあ。世話になったなあ」
幸吉 「…(頷く)」
徳兵衛 「手前どもとしましても、このまま多少なりとも路銀を持たせて讃岐へ送り出すか、いったん両国へお帰しするか悩んだのですが、この幸吉が別れを惜しむものですから、月日が経ってしまいまして、これは飼い主の元へ一緒にお帰しに行こうではないかとこうして罷り越しました次第でございます」
治助 「それはそれは本当にわざわざ、ありがとうございます。なあ、仲良くなったのに申し訳ないが、帰してくれるか?」
幸吉 「…(頷く)」
治助 「ありがとう!ありがとうなぁ!」
幸吉 「…また、遊びに来ても、いいか?」
治助 「いいよ!いつでもおいで!」
幸吉 「(頷く)」
徳兵衛 「では、私共はこれで」
治助 「ありがとうございました。本当に、ありがとうございました」
徳兵衛 「ああ、そうだ。これは途中で湯島の天神さまへお参りをした際にいただいた御札なのですが、どうぞこれをお収めください。そちらの犬が無事に帰ってきたお祝いということで」
治助 「何から何までありがとうございます」
幸吉 「また遊びに来ても、いいか?」
治助 「いいよ!いつでもおいで!」
幸吉 「(遠くから)弁慶――っ!」
治助 「(手を振りながら)こっちでは義経だけどなぁ」
おかみ 「まあ良かったねえあんた。こんぴらまでは行けなかったけど、これであんたが元気を出して商いに身を入れてくれりゃあたしはそれでいいよ」
治助 「こんぴらにゃ行けなかったがな、こうして御札も持って帰ってくれたんだ。えらいぞ、本当に九郎、お前はえらい」
おかみ 「御札ったってこれは湯島天神の御札だろ。なら籠で行ってもお代は一分いちぶ くらいのもんじゃないか」
治助 「ちょうど一分いちぶ たぁ、やっぱりお前は賢い犬だ」

(終)

【青乃屋の一言】

2020年の「新作落語台本募集」に応募した噺です。落選しましたが、一番初めに書いた落語台本なので思い入れはあります。
まずかった点としては、最大のくすぐりが「青菜」と被ることですかね。書き上げた後に気付いたので他のものに変更しようと思ったのですが、結局、どうしても浮かびませんでした。そのくらい、義経・弁慶主従のコントラストというのは偉大なんでしょう。世界一じゃないかな?