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眼鏡を初めて買った話

 今日僕は初めて眼鏡を購入し、このnoteを書いている今も眼鏡をかけている。
 なぜこのように眼鏡を買ったことを大袈裟にしているのかというと僕の家族、家系は全員目が悪いからである。小学校低学年から眼鏡をかけている人がほとんどで自分で言うのもなんだけど非常に稀有な存在であったので周りからはよくコンタクトかどうか聞かれていた。
 ではいつから自分の目は悪くなったのか。購入手続きで空いた時間で考えていた。小・中学校は視力検査でいつも1.5 Aを出すような優等生(?)だったのに高校生になってからは雲行きが怪しくなったいった。もちろん原因はスマートフォンである。高校生から持ち始めたスマホであるが、その利便性に溺れ通学中にTwitterを見る、寝る前にYouTubeを見るということが多かった。画面との距離も近くなるわけだしブルーライトは直撃してしまっている。異変に気づいたのは高校1年生の秋、席替えで後ろの席になった時だ。ー見えないー 初めての感覚に少し混乱し黒板の文字を目を細め、少し体を前のめりにして見始めたのだ。今まで目が良かった自分にとって屈辱的な行動だ。とか意味不明なことを思いながらも順調に視力の方は落ちていった。学校で行われる検査ではB→Cとなっていき、数値的には0.4を下回っていたのではないのだろうか。眼鏡を購入した店での精密な検査によると0.2だったそうだ。いや馬鹿かなんにも見えてなかっただろ。0.2て.... と思っていると母親が 私は0.1未満なんですよドホホホホ と言っていて恐怖を感じた。節穴やん文字通り
 眼鏡をかけ始めて感じたのはやっぱり見える世界が違う ということ。今まではすれ違った人の顔なんて見えたもんじゃないし街並みなんてすべてぼやけていたのだから当たり前のことだ。見える世界が違うことで自分が感じたのは感動ではなく恐怖だった。人の表情がみえることがこんなに怖いことだとは思わなかった。人の機嫌を気にしてしまう臆病な自分にとって見えるということは残酷なことだ。明日からの学校生活、自分は自分で居られるのだろうか。いつの日か眼鏡をかけない日が来るのではないだろうか。また、3年間通った通学路も全く違く見えるのだ。知らない看板、予想外の文字が書いてあったポスター、そしてすばらしいデザイン。知らない地元が目の前に広がっていて感動し、もう味わえない感覚を噛みしめながら帰路に着いている。
 眼鏡をかけている人が頭にかけながら眼鏡を探すみたいな天然は僕はやらないと思うけどさっきから目が痒くなる度に眼鏡を手にぶつけている。何度も何度も。少し不便さもあるが周りがぼやけない世界はやはりいいものだ。YouTubeもよく見えるし(やった!)
 でも最初だからかかけ続けていると目が疲れてくる。キューっと矯正されている感覚にまだ慣れない。これからの眼鏡生活がどういう方になっていくか気になるが、とりあえず見える世界を楽しもうと思う。また眼鏡に手をぶつける。どうにかしてくれ

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