不自由の連鎖

ものごとに一面があるとしたら、必ず「裏面」が等身大で張りついて成り立っていると思うのです。だから、表と裏の両方の知識と経験を操縦できる自分になりたいと思っています。例えば、料理と廃棄するゴミは表裏一体です。清潔な部分を欲しがるならば、廃棄するのも、同じくらいのパワーで処理する必要がありますからね。

斉須政雄「調理場という戦場」


自宅療養97日目。5:00起床。朝食を済ませてから床掃除をする。色の薄いフローリングだと汚れが目立ってしょうがない。あとは様々な汚れがスリッパで歩くごとに押しつぶされて床にこびりつく。面倒だけど水拭きをしながら汚れをこそげ落としていく。木の感じはそりゃいいけど、掃除することを考えるとクッションフロアの方が便利。以前住んでいたマンションは犬を飼っていたからクッションフロアで助かった。普段は軽く掃いてクイックルを軽くかけるだけでよかったし。

朝が行動的だとそのまま外に出たくなる。でも無目的に外出したところで、下手にお金を使って後悔することが多いから今日は出ないと決める。とにかく筋トレ、そして読書と映画、退屈になったら断捨離。電気代は諦める。部屋で快適に過ごし、かつ、カフェにいるような感じで読書をし考え事もすること。

都知事選が終わってからも、候補者達は様々な話題を提供している。石丸&蓮舫で言えば、石丸さんは外部の文句に耳を貸さず、ひたすら自説を説明するために番組に出ている。そして脅しとも取られかねないやり方で、メディアへの猛省を促し、また、結果も出している。かなりの力技だが、この胆力はすごい。蓮舫さんはXで噛みつき、見苦しいから辞めろと言われているが、次の一手はまだない。このマイナスをどうバネにして浮上してくるのか。二人ともここで沈んでほしくない。次の選挙まで話題をつないで、政権奪取に貢献することを願う。

入院中はとにかく息苦しく、やる事もなく、ひたすらベッドで横になっていて気が狂いそうだった。とにかく眠ってしまえば時は過ぎるから、毎晩睡眠薬をもらって眠りについていた。少しでも長く眠れるように祈っていたが、元がショートスリーパーなため、朝5時には起きてしまう。本を読む気にもなれず、車椅子で意味なく移動するばかり。あとは髪の洗い場があったので、頻繁に洗っていた。必要はないけれどこれで30分稼げると思って。

外に出ることは禁止されていたので、とにかく耐えた。退院して部屋に戻った時の開放感は凄まじく、これが自由だ!とガッツポーズの一つもしたと思う。ただ、そんな自由も長く続くと不自由に変わってしまう。人にはある程度の制約が必要だ。贅沢なのは理解しているが、自由の中にある不自由さにずっと戸惑っている。仕事に復帰したら今度はそこに不自由さを感じるのだろう。不自由から不自由へのバトンリレー。

歳をとることは素晴らしい、楽しい、みたいな言説があるが、本当にそうだろうか。加齢によって知識、経験、自由が増えることはあるだろうが、その分失うものも多いはずだ。新たな心配事は増える一方だし、軽い悩みは経験値でどうにかやり過ごせたりするが、残ったトピックが重いものばかりになる。総合的に今の方が昔よりマシだということはあろうが、それは純粋な加齢がもたらしたものではない。だから折り合いをつけることが加齢における最優先であり、折り合いのつけ方の出来不出来で現状が決まる。加齢は諦めを含んだ延命措置で、だからこそ小さな喜びをたくさん集めていかないともたない、というのが自分の考えだ。

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