トリガーを知る

村瀬さんという人は面白いです。老人介護って常に「したいことが挫かれる」仕事なんですよね。現実的な制約がさまざまありますから。でも村瀬さんは、その制約を使って何かまったく違うところにジャンプする。「現実の制約?そりゃそうでしょ」みたいな感じで。苦しいときは、より原理的に考えて、制約さえも利用してしまう。すごくたくましい……というより身体知に満ちた人です。

雑誌「精神看護」2024年3月号より、書籍「シンクロと自由」の紹介文から。


自宅療養73日目。5:50起床。昨日の夜から時々、手術したところがチクリと痛む。嫌な予感がする。次の診察でレントゲンを撮ればわかるだろうが、一過性のものであってほしい。プレートがズレたりワイヤーが外れたりしたのだろうか?再手術だけは嫌だ。体の内部で起こることは目視できないから不安も増す。ましてや初めての怪我、過去に経験が無いから予測がつかない。

今日も部屋から一歩も出なかった。知人から怪我の具合どうだ?のメール。数回の往復。治癒したらお茶しようと約束する。怪我以降、ほとんど人と会わず、一人で過ごしている。会話するのはドラッグストアの店員と病院の人のみだ。特に話したいという強い欲求も無いのが不思議。体を自由に動かしてとにかく歩きたいという欲望は強いのに。療養初期に筋肉が削げ落とされ、一目でわかるほど喪失したように、話さないことで言葉も失っただろうか。動くことで筋肉がキープされているのと同様、話すことで言語の使い方や脳の機能を保っている。それが無いことでどれだけのものを失っただろうか。

こんな自分もいたんだ。それを確認するためには、誰かの協力が必要。円グラフの12時から15時が自覚している自分だとして、次の15-18のエリアの自分は誰かが引き出してくれるのを待っている。あらかじめ自分の中に複数の人格がいて、それは全て自分で、対する人によって対処する自分が変わるという分人主義的な考えもわかるが、円グラフのように、次々に新しい自分の『部分』が引き出され、一人の自分が拡張していくという考え方。芸人の光浦靖子がTVでそんな事を話していた。

自分は無宗教だが、突然にキリストや聖母マリアをモチーフにしたアイテムが欲しくなる。普段キーケースなど使っておらず、剥き出しの鍵に革のカバーをつけているだけで、それを殺風景だと思い、ここに十字架やマリアのキーホルダーをつけたいと思ったのだ。

おそらく何かに刺激されたのだろうと思って、朝からの記憶を思い起こしたらわかった。きっかけはXのポストだった。

ある牧師のポストでアーサーホランドという名を知る

異端の不良牧師で十字架を背負って移動しながら説教をしていることを知る

動画でその人物を確認する

自分の体よりも大きなおそらく木製の十字架を背負いながら歩き、聖書の一説を言い聞かせる映像を観て衝撃を受ける

様々な宗教画をネットで見まくる。ボッティチェリを始め、特に受胎告知やマグダラのマリアなどをモチーフした絵画が好きだったことを思い出す

この世界観を携帯したいという思いに囚われる。スマホの待ち受けを変えてみる

何か物理的に手で触れるものが欲しいと思い立ち、あの殺風景な鍵束と一緒に持ち歩いたらどうかと考える

こんな感じだろうか。最終的には、興味がアーサーホランドという人物の方に移り、図書館のサイトをあさり、彼の本をネットから予約することで完了した。

一つのトリガーから引き出された自分の一部が、自分をケアするために必要なアイテムを手に入れようとしているみたいで、少し笑える。何かすがるものが必要なのか。それとも自分の内に芽生えさせる必要のある信念、その代替としての逃げのようなものなのか。ひとまずキリスト教にまつわる本を読んでみようと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?