灼熱、朝露。
自宅療養87日目。4:00起床。灼熱、朝露ともに変わらず。枕元にあった舞城王太郎『短篇七芒星』を軽く読んでいるとページにポトスの雫が落ちて滲みを作る。マジか、、、と思えど、考えれば押し花みたいなもんか。自らを綴じるのではなく、相手を変容させて自分の痕跡を残すような。水滴で歪んだ跡がページをめくり押しつぶされることで固定される。まあこれもいいじゃないか。
今日は朝から体が軽く、いきなり野菜を炒め始める。ナスとピーマンをザクザクカットしていく。鍋に放り投げて火力マックスで炒める。中華味と胡椒を振り、ごま油でピーマンの肌が潤ってツヤツヤしてくる。少し酒を入れて蒸気をぶわーっ!もやしを投入してそのまま鍋を振る。料理を覚えたばかりの男性がやりがちな、しなっしなの野菜炒めにならぬよう気を配り、醤油を少し垂らすといい香りが立ち込める。オイスターソースで整えて完成。少し青臭いくらいのピーマンが美味しい。もやしもシャキッとしている。
そのまま部屋の掃除にかかる。とりあえず掃き掃除だけ終わらす。コーヒーを入れて一服する。ドルチェグストを買って本当によかった。ちょうどよい味わいと毎日飲んでも飽きのこない味。適度な濃さもあって文句のつけようが無い。マグカップを変えてさ今日は。イギリスの幻想小説の表紙に合いそうな素敵なデザインで気に入ってる。アフタヌーンティーで購入したけどアリスモチーフのやつも買えばよかった。細身で背が高く柔らかなオクタゴンも完璧で。老人の真っ只中になったとき、できればモリスのカーテンか壁紙の薄暗い部屋で、本を読みながら口に運んでいたい。あと20年、絶対割るなよ自分。美しいものやチャーミングなデザインにずっと魅了されている。歳を重ねるごとに恥ずかしさは増していくが、もうこれは一生変わらない。ワイシャツではない、長袖シャツでもない、ブラウスの佇まいが好きという感じ。
旅したい あてもなく
道端の モーテルに泊まって
朝までやりまくる
手を伸ばし 空中に触れる
ここはどこ そうさ君の近く
それだけでいいだろう
引き続き舞城王太郎の本を読んでいるとシャッフルでJudaの『シルベット』が流れてきて今の気分に合致して歓びが増幅する。舞城の文章に付箋を貼って、はぁー、やっぱすげえな舞城と感心していた最中だったので、シンクロがひときわ響く。浅井健一の声はどうしてこんなに純粋さを感じるのだろう。何を歌っていても常にそう感じるのは、舞城の小説も同じだ。この純粋さの正体の答えは自分の中にあるだろうが、無理に突き止めなくてもいい。それぞれの作品を味わうことで身にまとえる。香水と同じく気配を纏うだけで満足だ。
シーツと毛布をじゃぶじゃぶ洗う。実際洗っているのは洗濯機だが、いまのテンションがそう表現したがる。気持ちは洗濯板に枕カバーをガシガシと擦り付けている。手を動かせ、浸けて上げて絞って、また浸けて上げて何度も。そうやって石鹸を洗い流して、パンパンッ!と勢いよくはたいたら真っ直ぐ太陽に当てて干すのだ!
過去にどれだけ素敵な体験をしていても、現状が辛かったらその過去が機能しない。過去は薬にはならない。ただその過去を思い出すことで、現状の辛さに向き合う時の防御にはなりそうだ。痛みを少しだけ和らげてくれる。それは辛さだけにフォーカスしている心を、一瞬だけ過去に向けるから。その時だけ痛みを忘れる。でもすぐに戻ってくる。だから何度も思い返す。幸福や感動の蓄積を引きづり出す。【君は素敵だ!困った顔がよく似合う】とふくろうずが歌っている。『ごめんね』の一節にきちんとした青春の一コマを見る。自分にも確かに、ごめんねとか、ありがとうとか、運命だねとか、その時に出会った人々の中で1番近い距離にいる女の子に言ったり言われたりしたことがあって、それは現状の辛さに破壊されることは無い。思い出は思い出さないと薄まっていくのかなと思うけど、そう思い続けることは難しい。
買って一週間も経たないが、丸テーブルにして本当によかった。当初120cmで探していたけど、ごく一般的な90cmにしたのも正解。まあ100cmならよりベストではあるが。気分で椅子の場所を変える。丸い天板だからどの位置でもテーブルとの距離感は同じ。視線の先にあるのがベランダから見える景色だったり、観葉植物のグリーンだったり、本の背表紙がズラっと並ぶ様子だったり。狭い部屋の中にあって、たくさんの視点で日常を捉えたいから、何とはなしに物理的に視点が移動していて、その先にある対象の存在にハッと気づくこと。その対象から想起させられる感情。ワンルームという小箱の小宇宙でどれだけの旅ができるだろうか。
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