埃みたいな男

もうずいぶん前になるが、私のことを埃みたいな男だと言ってくれた女がいた。春先の埃みたいに軽いという意味なのか、払っても落ちないという皮肉なのかは知らないが、うまいことを言うと思った。顔もぼんやりとしか思い出せないが、溜息まじりの女の呟きを背中で聞きながら、どうして埃と誇りはおなじ発音なのだろうと思ったことを憶えている。そんならことがあったからかもしれないが、光の中にしばらく浮かんでは、またどこかへ消えていく埃を見ていると、いつまでも飽きない。

久世光彦「聖なる春」


自宅療養74日目。6:30起床。だいぶ楽にはなってきたが、起きがけの足首は固くこわばっていて、無意識に立ち上がると痛みがはしる。油断しないよう言い聞かせるのは何度目だろうか。無意識の怖さをあらためて知る朝。

雨の中コンビニまで買い物へ。煙草とパンを買う。戻って食べ始めたが瞬殺で、味わうことも忘れて腹に詰め込んだだけ。菓子パンは雑に食べてしまいがち。TVerで『ニッポンノワール』を見始める。うらぶれた雰囲気の賀来賢人も良い。暴力的な演出に少しコミカルな要素を交えた刑事ものだが、少しアンバランス。2話以降どうなるのか楽しみ。強めの頭痛が治らないのでロキソニンを飲もうとしたが切れていた。後でまた買いに行かなければ。

斎藤環『ビブリオパイカ』を少し読む。赤坂真理の小説を評した以下の文章に唸る。斎藤さんの書評スタイルこそ独壇場で、他に類を見ないと思う。

そう、赤坂さんは、身体をまるでマシンのように、あるいは接続しあっているネットワークか情報集積体のように描き出します。高精細度のCGアニメーションで描かれたようなその身体は、ちょっとした刺激や振動によって瞬時に相転移を繰り返します。このような特異な身体イメージは、完全に赤坂さんの独壇場で、似た事例すら思いつくことができません。

また、古川日出男『LOVE』の書評にある、要約と言い換えの鋭さも光っている。

ひたすら物語を拡散させ、無理も矛盾も飲み込んで結末へと突っ走る本作は、文体の悦びと小説の快楽にあふれている。めまぐるしく交替する記述の視点と、映画の予告編のように省略と圧縮のきいたドライブ感は、小説よりもロックのそれに近い。

斎藤さんの評論関係の本はたくさん出ているので、まとめて手に入れて読み耽りたい。アート系のインタビュー集も最高に面白かった。これも手元に置いておきたい。

都知事選が盛り上がっている。毎日何かしらの動画を観ては、それぞれの候補者のメッセージを聴いている。誰に当選してほしいというのは特に無いが、誰がどのくらいの票を取るのかには関心がある。何かの変化につながる結果が見えたら、それでいいと思う。劇的に物事が変わる時には多くの犠牲者が出るから。大体において弱者と呼ばれる人たちが犠牲になる。それだけは避けたい。





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