得られるかもしれない陶酔のために

自宅療養34日目。6:15起床。起きがけに『アンメット』第6話を観る。後遺症が残った患者とテンカンの話。「患者さんが復帰して一番つらいことはできることさえさせてもらえず、可能性を絶たれることだ」という台詞に心が震える。

自分が歩くことさえできないいま、深い共感とともに心に留め置く。健常者、障がい者という区分で捉えるのではなく、人にはできることとできないことがある、個人個人の可能性をきちんと把握し、その範囲で仕事できたらいいのに。そう思うこの頭はお花畑認定されるだろうか。

小学生のとき、クラスにテンカンを持っている子供がいた。記憶が曖昧だが、確か1〜2ヶ月に数度のペースで発作が起きていたような気がする。

僕と2.3人の友達が、比較的彼との距離が近く、家に遊びに行ったこともあった。彼は背が高く体も大きかったため、発作で倒れた時の衝撃は大きかったが、クラスメイトや先生もそれを理解しており、特別扱いはしてなかったように思う。

発作が起きて彼が早退した時には、放課後に家まで行った。大丈夫か?と心配する気持ちもあったが、彼は寿司屋の息子だったので、寿司にありつきに行ってたのだろう。子供ならではのストレートさ。

大将の寿司を食べ、お前大丈夫かよと言いつつ、当時流行っていたゲーム機で遊ぶ。彼は無口だったので、爆笑し合うような会話は無かったが、それでも同じ空間で遊んでいたのは事実だ。ゲームをして、寿司を食って、ジャッキーチェンの映画を観て、アチョーっ!と真似事をしたりして。

そんな記憶が蘇った。ドラマ内で仕事の同僚達が、『お前どこ行ってたんだよ、お前がいないと困るんだからさ。』みたいな事を言っていた。そんなのドラマ内のきれいごとだよと、大人の自分が思う。しかし小学生の自分は、別にいいじゃん、こいつはこいつなんだからさと軽々しく思っていたはず。必要とか必要じゃないなど考えることすら無かっただろう。

許容する側とされる側。そんな区別無しに同じ空間で生きていくこと。何の報酬が無くとも、この世界の方がみんなが集まれるよねと思い直すこと。そんな世界を諦めずに求めていきたい。

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執筆活動は自分の信念や忍耐辛抱を試され、どこか崇高なところがあります。その過程は苦しいことが多いものです」と語った。では、なぜ続けるのだろう?「得られるかもしれない陶酔のために!」そう答えると、ジュリアは去っていった。

フィガロジャポン、映画監督ジュリア・デュクルノーのインタビューを読んだ。カンヌをとった『TITAN』はぶっ飛んだ映画だった。目を背けながらも、見てはいけないものを盗み見るような感覚。タブーの可視化。固定された点滴針に直接映像を流し込まれているような強制的な圧迫感。全てが良かった。

物語を産み出す過程でひたすら自分と向かい合うこと。崇高なところがある、というのは宗教的なものと共鳴するだろうか。ならば祈りだ。得られるかもしれない陶酔、という言葉は全てのアーティストに共通する。やむに止まれない衝動から忍耐を経て陶酔へ。次作を心待ちにしている監督の1人。

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日中に電話を3本、来客が1名。たったそれだけのタスクで疲れてしまった。筋肉量だけでなく、処理能力も落ちている。考える➡︎決める➡︎処理する。いま考えると普段の仕事でこなしていたことは相当な分量だったのだと気づく。あたりまえのように行なっていたが、それはナチュラルとは縁遠く、常に負荷がかかっていた。負荷がかかりすぎると怒りと不審が起こる。自分への不審。

自分への不審。なぜこれができない?もう少し短時間でできない?もっとうまく立ち回れ。自分を否定しながらケツを叩く1人SM劇場。と同時にやってくる怒り。どうして人員補充しない?あの上司がサボってるから進まない!そもそもゼロベースで考えろ。呪詛の言葉を発砲するが、心の中での発砲は自分に返ってくるのみだ。

自分を否定し、それでも進めと命令し、怒りを投げつける。自分が自分に対して。これはどういうことだ。

行為の最中は気づかない。それが何日も繰り返され、精神か肉体、どちらかに限界がきた時に初めて一旦停止ができる。それも強制的な停止だが、止まれれば救いはある。都合良く考えれば、今回の怪我は停止の命令なのかもしれない。まず止まれ、その先はまだ未定。こんなこともわからないのか?どこかの神がめんどくさそうに呟いている。


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