落ちる速度

 自宅療養26日目。5:40起床。そのまま『アンチヒーロー』第5話を観る。物語の進み具合、ギアが入り、サクサク進む。かつての古巣との戦いという構図はわかっているので、今後どう盛り上げるかは役者の力にかかっている。今まで観てきたところ、シナリオ的に大きな刺激は無さそうなので。

 昨日安売りしていたのでペヤングの超大盛りを買った。1081kcalに怯むが、あっという間に平らげてしまった。もちろん昼は抜きでいく。結局1番食費を抑えられるのは高カロリーの炭水化物メインの食品なんだろうな。小麦について調べたくなった。

 昼過ぎにまた寝てしまう。起きたら16時を過ぎている。寝覚めはよくない。変な夢もみた。一年前に別れた内縁の妻が、共通の知り合いの男と不倫をしてる夢。
 ラスベガスのカジノのような豪華な会場にひときわ大きなシャンデリアがある。そこにベッドを持ち込んで愛し合ってる瞬間を自分が目撃してしまう夢。男にも妻がおり、それをバラしてやる!と自分が大声で叫んでいるが2人には届かず、ただ愛し合うのみ。
 これは何を意味してるのだろう。2人で前向きに別れたので未練は無いはずなのに。

 積読になっていた『生きる演技』(町屋良平)を読む。帯文が敬愛する作家の古川日出男が書いていて、発売前から評判になっていた本。
 もちろん期待している。しかし怪我の直後ということもあり放置していた。あらためて読み始めてみたが、何だかチューニングが合わない。それでも読み進めていくが、5.6ページ読んだところで本を閉じてしまう。
 そういえば学生ものが苦手なのだった。学校での様々な描写や会話を読んでいると胸が苦しくなる。呼吸も浅くなる。物理的にではなくあくまでイメージとして。
 苦手な理由ははっきりしていて、自分の過去を思い出すからだ。しかし自分の学校生活は普通だった。いじめられたわけではないし、部活にも入っていた。恋のひとつもした。いたって普通な青春があった。
 ならばなぜ?と思うが、理由は家庭にある。機能不全の家族を思い出してしまうからだ。あのときの惨めな生活とDVによる恐怖。その記憶が心にびっしりと彫られている。それを思い出したくないのだ。
 松浦理恵子も大好きな作家で、その作品のほぼ全てを読んでいるが、『最愛の子ども』はまだ未読。こちらも学校が舞台だ。もういい歳だし、親たちも全て死んだので、今後自分に新たな危害が加えられることは無い。だから思いっきりその作品世界を堪能すればいいのに、なぜか苦手意識が拭えない。
 普段の生活下では過去を思い出すことはほぼ無い。特に家を出る18歳までの記憶を封じ込めている。多分よいこともあったと思う。不幸の最中にあっても、嬉しい出会いや世界の小さな発見もあっただろう。それでも、そんな幸福の記憶も一緒に土に埋めたのだ。
 また時間をおいてチャレンジしてみる。足が治ったらサイゼリヤにでもいって、ワインと周りの喧騒の力を借りる。一気に本の世界に没入できれば読み切れるだろう。

 ドラマ『アンメット』第5話を観る。観葉植物が並んだ部屋が劇中に出てきた。ふと窓際に吊るされた自分の植物を見ると元気が無い。水やりも3日放置していた。そんなことすら忘れていた自分に腹が立つ。
 少しづつメンタルが落ちていく過程を、もっと解像度高くリアルに体感できればいいのに。30段階くらいで体感できれば被害や罪悪感も減るのだが、10段階くらいのゲージしかない。1段階の落差が大きく、持ち上げなおすのにかなりのエネルギーをさかなければならない。
 それこそアンメットの杉咲花のように、起きたらすぐにメモを見て、過去の日記を読んでみようか。たとえメンタルが落ちるにしても、それを阻止するように先回りして前向きのタネを植えていくこと。

不毛な日が続く。明日こそ、どんなに小さな活動でもいいから、今と未来のことだけ見据えて時間を過ごしたい。

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