神を指名する

あんたは今自分が十字路に立って進むべき道を選ぼうとしていると思っている。でも選ぶことなんてできない。受け入れるしかない。選ぶのはもうとっくの昔にやってるんだから。

コーマック・マッカーシー『悪の法則』


自宅療養103日目。4:50起床。カラッとした夜明けにムカつく。清純な一日が始まりますよ、準備はいいですか?みたいなメッセージが透けて見える5時。いつものルーチンをクリアして、1人孤独の時間を過ごす。声を出しても1人、癇癪起こしても1人。ちょっとやばいかもと自分でも思う。仕事に行ってないから外部とのコミュニケーションが無いせいだ、自分の声ばかりが聞こえて飽きる。

様々なカルチャーを味わうことだけを優先して、結婚も子供を作ることもせず、ひたすらこの身一つで生き延びてきた感じだが、その末路がこれだ。その時々では真剣に生きてきたつもりだが、いつもスタート地点な感じがする。感受性だけはきちんと育ってくれたが、男らしさや大黒柱的な感覚を嫌っていたから、キャリアを積み重ねるという発想、その優先順位も低かった。暴力的で自己中心的な男社会を毛嫌いしていたから友人はほぼ女性だけだった。

その時々で知り合ったラブの塊みたいなパートナーは何人もいたが、結局みんな去っていった。年月を経ての孤独は神を必要とするが、そんな神は勝手にやってこない。こちらから指名せねばならないのだ。でも人生なんてそんなものなかもしれない。まあ現在進行形なので、当たり前だが現在しかわからない。自由と孤独の狭間を漂う中年がいる、ただそれだけ。

昼間に外出し、軽く飲んだ。その時に打ったのが上の文章で、本音がダダもれている。少し怒りが見えるな。自分に対しての怒り。でも実際にはそこまで怒ってないと思う。楽しい経験も、ドラマティックな瞬間やロマンティックな時間も、それなりにあったと思うから。現在が停滞しているから過去を思い出し、その体験の豊かさを現在と比較して、現在の否定材料にしてるんだろうな。じっとしてればいいのに頭は何かを思いたがる。うるさいのだ。

今週はハードなリハビリをしていたせいか、一歩を踏み出すたびに軽い痛みがはしるようになってしまった。焦りばかりが募る。こうしたら治る、これをこの分量やれば回復する、みたいな基準が無いのが辛い。あと一歩のとこまできてるのに、ラストワンマイルが長すぎて、目的地を見失いそうだ。

本を2冊買った。町田のブックオフは日本で1番売れているらしいが、それもうなづける充実の品揃え。既刊の本がほしくなったら書店ではなく、まずこちらを覗く。ほしい3冊のうち1冊あれば良しとして向かったが2冊ある。クーポンや残っていたポイントを利用して、定価の半額ほどで手に入れる。新刊書店には頑張ってほしいので新刊はなるべく書店で買うようにしているが、おそらく難しいだろうな。雑誌が壊滅し、コミックを電子書籍に取られたら稼ぎ頭が無くなってしまう。残念だが出版ビジネスも終焉に近づいている。

ネトフリで『地面師』を観る。夕方から深夜にかけて完走。噂通りの素晴らしさだった。全体的な印象で似ているのはリドリー・スコット『悪の法則』だろうか。理不尽な死。

北村一輝のチンピラ感とキレッキレの演技が最高。その声質も含めてこういうのやらせたらピカイチ。もっと抑制された、目が座って危険しか発してないような演技もできるし、若き日のゲイリー・オールドマンを思い出す。

綾野剛はつくづくいい俳優さんだなと思う。いい作品に出たときはほぼ満身創痍でボコボコにされることが多く、本作もそうだった。矛盾や迷いを抱えたまま冷静に詐欺を働く姿と、初めて豊川悦司と会うシーンの爆発的な演技の対比が、そのまま役者の振り幅となっている。

ピエール瀧と小池栄子も安定の存在感でドラマに厚みを与えている。染谷将太の浮遊感と軽さ、ナチュラルさは松田龍平のすっとぼけたような独特の存在感に似てチャーミング。リリーの死に顔は歴史に残るし、マキタスポーツ、オクイシュージの目力とアングラ感もフックになってる。エライザにはもっと活躍してほしかったけど、作品全体からするとこれでよかったのかも。山本耕史のハイパワーリーマン振り、まさに体当たりの松岡依都美も素晴らしい。他にも多くの役者さんが文句のつけようのない存在感で画面を彩っていた。

そして何と言っても豊川悦司だ。まさにこんな豊川が観たかった。得体の知れない悪の塊。背も高くガタイもいい。まさに大きな悪の象徴。悪趣味ではない知性のあるギラギラ感、オーダースーツにウェスタンブーツ。役どころも衣装も全てがかっこよく、もう30年以上前の『12人の優しい日本人』で見せた鮮烈なカッコよさを思い出した。オレンジ色のパンツに柄シャツ、サングラス、得体の知れない美しい青年。これからもイカれた役が見たい。



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