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日本人は力による現状変更に対し、多くの市民に犠牲が出ても戦うのか?という考察の現実性について。

連日 中継で見るかのようにロシアのウクライナ侵攻の様子がテレビを賑わせている。
これを見て 日本人は何を感じなければいけないのか、何を感じているのか。

私の感じるところから述べてみたい。
結論から言えば、
①日本人も侵略を受けた時このウクライナ人のように戦うだろうかという疑問。
②それに連関し、「やはり、日本を守れるのは具体的には日米同盟だけであり、アメリカが守ってくれるには、日本人が侵略に対しウクライナのように戦い続けねばならないという当たり前のことに気づいたであろう」というようなポツポツ出てきた発言をどう捉えたら良いかということ。
③戦争とは、こんなに、国際法上から忌避せよという要件が多いものだったのかという発見。
つまり、市民をこうげきしてはならないとこか、戦争犯罪とか。75年以上前の日本の戦争とはだいぶ違う。(当たり前か?)それはもちろん私自身の無学に由来するのだが、国際法がこれほど具体的形で浮上するのをみたことがなかったということであり、しかし、本来、近代戦は、幾つもあったのに、なぜ、今回だけ、これほど西側世界に戦争の内実が詳細に「中継」され続けるのかという疑問。

若干の考察
③は、簡単に言えば、これが、非民主国、独裁的強権国の侵略だからでろう。民主国による侵略、キリスト教国による侵略は、細部中継されなかったのだろう。しかし、国際法というものは、地球上すべての国に通用すべきとするものだったのではないか?

①に関しては、実は、もう、50年前から、戦うべきか否かという議論が、同盟の可否、自衛隊の可否、核抑止の実態とともに戦後の日本で大議論となってはいた。例えば、日本が軍隊を持たず、しかし、侵略があった場合は、国民総武装総反抗というイメージを提出した学者もいた。大江健三郎は、創造力の貧困を問題とした。まさしく、戦後日本は結局、自衛隊という実質上の軍事力を持ち、日米安保条約を国防の基幹に置いたが、戦争が起こった時、国民は何をしているのかという具体的イメージを政治家や官僚はイメージして来なかったのではないか。海に囲まれ、できるかどうかは別として、市民は、日本から勝手に脱出して良いのか?漫画的極端なイメージで言えば、市民がいなくなった国土を自衛隊だけが守るために残って戦うのか?それとも、18以上50以下の男は国土から出ることを許さずとゼレンスキーのように総理大臣は宣言するのか?どんな法的権限に基づいて?その時、男たちは、武器を持って戦えと言われるのか?

②について。国際法が、少しでも現状レベルで保持されたとしても、実際は、市民たちは、空爆や敵上陸後逃げ遅れ、かなりの犠牲が出るだろう。沖縄のように。そうしながらでも自衛隊さえ戦っていれば、アメリカはともに戦ってくれるのだろう。しかし、市民の犠牲を考えて、戦いをこちらから辞めると言った時、アメリカは、当然戦闘を中止するし、むしろ、戦い続けろと言ってくるかもしれない。
しかし、そもそも、消耗する自衛隊だけに戦わせるということは現実的なのだろうか?自衛隊は傭兵か?とすれば、非常時は国民皆兵とすべしという議論は、論理上出てくる。しかしそれは、全ての国民が航空機や戦車を操縦できるようにしておくということなのか?あるいは、市民抵抗レベルのゲリラ戦を戦えるようにすべしということなのか。

想定される「もしもの時」は、一つの島の占拠とかむしろ、相手がすでに攻撃をどこからか受けていてそれに対する反抗作戦の中で日本を攻撃してくるということではないか。
相手国が係争中の島に上陸する。自衛隊は断固として反攻し、戦闘状態に入る。その無人の島を巡り決着が着くまで自衛隊と米軍レベルの共同戦闘が続く。敵の作戦の中で、日本本土への何らかの関連攻撃が行われ、市民への犠牲が出るかもしれない、しかし、日本本土への上陸戦まで敵はなんの利得があって行うだろうか?
つまり、日本においては、ウクライナのような戦いの様子はモデルにはならないのではないか。①のような、疑問は、自衛隊を除いた市民レベルにとっては、実質においてはあまり意味を成さないのではないか。島国である特性が鮮やかに立ち現れる。
もし、意味を成すときは、第三次世界大戦のように、ほとんど世界全体が二つに分かれて戦う時だろう。つまり、中国、ロシア、北朝鮮が、日本に対して上陸戦も辞さずに絡み、最終戦を戦うまでエスカレーションする場合だ。
つまり、日本は、日米軍事同盟を結ぶことの意味は、初期の島を守るレベルでは有効かもしれないが、逆にそれが、第三次世界大戦レベルにエスカレーションさせやすくなっていることを強く意識しなければならない。いや、その局面をどう対応するのかこそ、今でも、考えておかねばならないのではなかろうか。

主権、領土の現状を暴力で変更することはあり得ないとわからすために自衛隊と、もしかすると基地レベルのミサイル攻撃を受ける犠牲を払っても日本はまず戦い続けようとするのであろう。
問題はその後である。二つの陣営に分かれた戦いにエスカレーションさせるのかどうか、させても戦うのか。
終戦の技法を磨かねばならないだろう。


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