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親戚付き合いの難しさを思う。
縁はとても貴重なものだとは重々分かっているが、ときにそのしがらみは人を苦しめるのもまた実際のところだ。こちらとしては配慮を尽くしているつもりでも相手方にとってそうではないことも多々ある。縁を手繰るのはなかなか、本当になかなか難儀なものだと思う。特に親戚は。
どこまで付き合いを持続して、どこから緩やかにフェードアウトさせるのか。それを感情に乗せるのか。ある程度共通に腑に落ちれるところを探すのか。
自分も度々使ってしまうのは反省ものだが、『考え方が違うからしょうがない』という言葉の残酷さを思う。その言葉が意味するのは結局のところ拒絶以外の何物でもないのだ。実際、使うときの心はいくらか捨て鉢な気分だ。
お互いに譲り合う、という気持ちがなければ何事も上手くは回らないのだろう。皆んな違う生き物なのだ。考え方が違う、など言うまでもないことではないか?その上でどうするか、なのではないのか?
思うように行かず悶々とする。
悶々とするのもまた人生のスパイスか。そう、思ってもいないことを、さも以前から思っていることのように心の中で唱え続けている。
生活は続く。望む望まざるはさておき、人波の中で。泳ぎ疲れぬように。泳ぎ疲れぬように。
また書く。
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