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愛から行動がスタートすると、不確実性の世界に生きる事になるのだが、その世界こそ本来の姿で、生き生きと暮らせるものなのだ

前回は愛から始まる行動と、資本主義的獲得欲求(不安や怖れ)を満たす為に始まる行動との差について書きました。

資本主義的欲求を満たす行為は、大きな弊害が自分の身体に起こります。それは、自分が乗っ取られていく事。自分が自分ではなくなる事です。

起こる現象としては様々で
・出世をなにより欲する
・年収(会社で言えば年商)を上げる事のみに躍起になる
・他人からの目がとにかく気になる
・容姿について過敏になる
・とにかく無気力になる
などが、自分が乗っ取られていくという現象として起こります。


なので、行動を愛から始める事が何よりの治療法なのです。
It's all about love.

行動を愛から始める、についてもう少し解説しましょう。

ここで言う愛とは、ロマンティックな恋愛に限るものではありません。子供を愛おしく思う愛、自分の家族のようにかわいがっている犬や猫に対する愛おしい愛、親に対する尊敬の愛、友人知人に対するフレンドシップからくる愛、地域に対して漠然と感じる感謝の愛、身体の底からエナジャイズしてくれるような自然界の恵みに対する愛など、自分の心が揺れ動くようなもの全ては愛であると言えます。

そんな、自分の心が揺れ動くような愛。それを感じた時、人はどのような行動を取るでしょうか?

例えば、自分の子供に対する愛の場合……。子供が熱を出してしまったら、例え重要な会議があっても会社を休む決断をしたとします。この瞬間、リスクを取る事を選んだ訳です。
※リスクとはネガティブな意味だと誤解されていますが、未来の振れ幅を意味する言葉です。悪い方向の振れ幅と同様に良い方向の振れ幅も含む。

このリスク、未来への振れ幅を受け容れる行為こそ人間らしく生きるという事なのです。

考えてみてください。未来へのリスク、将来の不確実性を完全に制御した人生って可能だと思いますか?
明日の天気から、将来の商売の状況まで、完全にコントロールできる人間って存在するのでしょうか?当たり前ですが100%そんな人間いませんよね。人間はリスクを常に抱えながら生きていく存在なのです。

この原点を忘れてはならないと思います。
人間が未来をコントロールできるなんて傲慢です。その傲慢さが、自分の身体を攻撃し始めるのです。


逆説的なようですが……。

安心を手に入れたいのであれば、不安をしっかり感じる事が重要なのです。

私は将来が不安です、でも安心(安全)です。
私は仕事に対して不安を抱えています、しかし大丈夫です。
私は漠然と不安です、しかしそれで良いのです。
私は不安定です、それを愛しています。


愛から始まる行動、例えば上記の子供の看病を何より優先するケースの場合、あまり後先考えずに身体が反応してしまった。という状況だと思います。このように、考えるより先に身体が動いてしまった、というような経験を大切にしてほしいと思います。

逆に
身体はいきたがっているんだけど、頭でストップをかけてしまった。
このような経験は自分の全体性を損なう行為なので、ちょっと勿体ないです。もちろん、不確実性の世界に飛び込むのに躊躇するキモチは分かります。さて、どうすれば飛び込めるようになるでしょうか?

飛び込めるようになる方法、これはいくつもあるでしょうね。人間の数だけあると言えるかもしれません。

その途方も無い、観測不能な世界こそ、とても美しく素敵な世界です。
その世界までの距離も様々ですが、自分が生まれた瞬間の位置から距離が遠ざけられている。それも自分が意図しない力によって。この現象に私は悲しみを感じています。

私は、これを格差と呼んでいます。

格差という目に見えない問題について、これからも考えていきたいと思っていますので、みなさんの格差を教えていただきたい。と思っているのです。

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