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それが神の采配だとしたら、僕らは何を感じ取れば良いのだろうか

どう考えても理屈で説明できないような偶然の一致が、この世には存在します。そんなもの意味がない、と切り捨てずに、それが持つ意味について感じてみたいと思います。

それを「神の采配」と呼んでみましょう。
自分の人生において「神の采配」を感じた出来事は何でしたか?思い出してみてほしいです。

昔から、日本人が大事にしてきた事、それは祈る事でした。
道祖神、お地蔵様など、我々の日常生活は人間以外のものと密接に結びついています。仏壇や神棚もそうであるように。
また、農業においても祈りは欠かせない行事でした。
我々は何かに祈りを捧げているのです。

しかし、科学が発達した現代社会においては、祈りは日常生活から遠いものとなってしまいました。初詣以外はお祈りはしないな〜という現代人も少なくないでしょう。

皆さんは、何に祈りを捧げていますか?
何を祈りますか?

欲しい物を具体的にお願いしますか?
家が欲しい、車がほしい、受験に合格しますように、彼氏彼女ができますように、子供が無事に生まれてきますように、病気が治りますように、世界が平和でありますように。
何を祈りますか?

祈りを捧げる時、どんな身体感覚ですか?
緊張?リラックス?幸福感?緊張感?

自分の身体は自由にコントロールできる筋肉と、自由に動かせない筋肉があるのです。祈りを捧げている間も、あなたの心臓は鼓動を続けているのが分かりますか?

呼吸はどうですか?
色々な思いが浮かびますか?それとも静かですか?


さて、神の采配について。

神の采配にはどのような意味があるのでしょう?
我々はそこから何を感じ取れば良いのでしょうか?


どう考えてもおかしい。
彼女との些細な喧嘩が別れ話になるなんて。

どう考えてもおかしい。
こんなミスで受験を棒に振るなんて。

どう考えてもおかしい。
順風満帆だった事業が急に閉鎖になるなんて。

どう考えてもおかしい。
こんなラッキーで大成功するなんて。


それが神の采配だとしたら、僕らは何を感じ取れば良いのだろう?

この人生をどう生きれば良いのだろう?

神のユーモアなのか、人間のユーモアなのか。
僕はすべてを信じている。


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