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忘れられるということ

「感謝している人はいますか?」
なんて、陳腐な質問を自分に投げかける。
私にも、もちろん感謝している人がたくさんいる。
友達はもちろん、私は先生にも恵まれていたなと思っていて
「恩師」という言葉で思い浮かべる人が複数人いる。
ありがたいことだ。

そんな恩師の一人。いつでも会えると思っていた恩師。
就職してからも何度か顔を見せに行ったり
仕事でもお付き合いがあったりして
なんだか心地よい関係だった。
しっかり感謝を伝えたことはなかったけれど
私が大学進学を決めたのは、その先生のおかげだ。
私は99%、大学進学するつもりがなかった。
なぜあんなに推してくれたのか
いつか聞きたいと思っていたが
そんな私にとにかく
「大学へ行きなさい。ご両親にも話してあげるから」
とごり押しで、先生を納得させられなかったから
仕方なく、大学進学を決めたのが本当の話。
先生のもとを卒業してから20年。
大学で学んだことと全く違う就職先を選んだ時
少し心配したのは、先生どう思うだろう。ってことだったけど
そのことに対しては何も言わず、
就職して地元に戻ってきたことを
嬉しく思ってくれていると感じた。

ー感謝はとにかく早く伝えるべきだー
時々容赦なくやってくるいろんな方の
突然の訃報を聞くたびにそう思う。
それなのにまた「感謝を伝えきれなかった」と後悔する。
身近な人へほどそうかもしれない。
そんな風に流れるように毎日を過ごしていた私に入ってきたのは、
先生が認知症になっているらしいという話だった。

聞いた瞬間、呆然とし、一人になった瞬間涙がとまらなかった。
先生はこの世にまだいるのに
会いに行くこともできるのに
感謝の言葉を伝えられるのに
私が誰かわからないかもしれないということ。
何のことを「ありがとう」と言われているのか
わからないかもしれないということ。
とても、受け止め切れなった。
そんな先生に会いに行くことを恐れている自分がいた。

なんとも言えない初めての感情だった。
「相手が死んでしまう」という以外に
感謝を伝えきれなくなることがあるということに
恥ずかしながら初めて気づいた。

先生、あの時の先生は本当にしぶとかった。
だけど本当にありがとう。
私の人生は先生のおかげで彩り豊かです。
泣いてしまうかもしれないけど、会いに行きますね。

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