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知とエッジ


私はエッジを立てるのが得意です。

私はそれらを包みこむ知性が足りません。


バガボンド 井上雄彦


井上雄彦 / バガボンドのこの1シーンに惹かれます。
シャープな刀とその周りを取り巻く水の表現。軽やかさと鋭さを秘めた剣の動きと、その表現を強調するかのような水の動き。

軽やかでありながら厳格である。

重々しいが重たくない。

意識的でありながら無意識的である。

このように一見両立しないような事象が一枚の絵に集約されているのが魅力的なのだと思います。

知とエッジ。

鋭いエッジを持った刀とそれを柔らかく取り囲む知性ならぬ水、という捉え方ができるのではないかと思いました。


言葉の価値が軽くなってしまった、今の世の中。


私はエッジを立てるのが得意です。


これはおそらく多くの人が思っていることでしょう。数多くの人がSNSで自分の言葉を発信する時代になっています。

そして、エッジを立てることが得意だと思っている状態が、最も危険な状態であることを認識しなければなりません。エッジを立てなければ人々の興味を引けない時代になってしまいました。知性という包装を軽視してしまう時代に突入してしまったのです。


昔は、知性という包装で遊ぶことが重視されていたのではないでしょうか。

昔の本を読むと、言論人はその包装の仕方を楽しみ、読者はその包装の開封を楽しむ時代だったことがわかります。


その包み方に作家や言論人のユニークさがより濃く表れる時代でした。


建築家になるためには学ばなければなりません。建築士の資格を取らなければなりません。

医者になるためには学ばなければなりません。医師の資格を取らなければなりません。

音楽家になるには学ばなければなりません。周りに認められなければなりません。



では言葉は?




私はエッジを立てるのが得意です。

私はそれらを包みこむ知性が足りません。

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