言葉の誤用も自分の歴史…なのか?


念願のマイラブソング(笑)を発表して2日、ろくにフォロワーを増やす努力もしていない自分のSNSなどで拡散してもたかがしれていて、再生数なんて「2」とかだけど、それでも形にできて良かったなと思うし、自分なりに続けることが大事なんだと思う。

それはそれとして、今朝、起きしなに
あれ?『実るほど頭を垂れる稲穂かな』って言うけどあれって良い意味の言葉だよな…
とふと思った。

というのは今回の『ひまわりの足元で』のCメロの歌詞に

「夜の暗闇で頭を垂れる私を見たら
 みんながっかりするよ」と

ひまわりの足元で/昴星

というフレーズを入れていて、まあ自分の意図としては単純に「太陽が出てないと元気がない」「明るい私だけじゃないのよ」くらいの感覚で、うつむいている様子くらいのイメージで使ってたんだけど、よくよく調べてみるとやはり『頭を垂れる』は「へりくだって謙虚な様」という意味なのでちょっと意図した物とは違う気がする。

なんで発表してから気がついちゃうかな、という感じだけど(笑)オレも完成させるまではある種ハイになっちゃってるから、発表してみてやっと冷静に見られるようになったという事なのかも。

無理に意味を通そうとすれば、「いつも元気そうに見えても大人しく謙虚にしてるときもあるのよ」ぐらいに解釈できなくも無いけど、まああんまりそれで「がっかりするよ」とは言わないよね。う~ん。

こんな時、オリジナル曲の良い所は、シレっと歌詞を変えてももちろん誰も何も言わないってところなんだけれど、最初のインスピレーションを敢えて残して、誤用したままの歌詞で進むか、やはりちゃんと直すべきかは迷うところ。

これに限らず、言葉の意味の覚え違いとか人は色々しているものだし、他人のそれに対してはあんまり鬼の首を取ったようにそれを指摘するのもどうかとは思うけど(この「鬼の首を取ったように」の使い方は合ってるかな…とか全部不安になってきたwww)今回は今後も自分で歌っていく物だし、毎回歌う度に「ホントは意味がちょっと違うんだけどね…」とか気になっちゃうっくらいならやっぱり直した方が良いんだろうな。

何にしてもそういう言葉の意味を正す機会があったというのは良い事なのかもしれない。
こうやって強烈に思い入れのある曲の一節として使っていた事で強く印象に残ったので、二度と使い方を間違える事はないだろうとも思うから。
そういう意味では言葉の誤用も自分の歴史とは言える…のか?
でもまあ単純に自分の学の無さが出て恥ずかしいなという気持ちが今は強いけど。

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